試練その四

嵐もやがては過ぎ去る。決して逃げず、諦めず、屈せずに、正直に、誠実に取り組んでいけば山は越える。嵐が過ぎて行ったあとは気持ちのいい爽快感が味わえる。諦めないでよかった、と。

試練その三

試練がきたときは決して他人のせいにしたり、社会のせいにしたり、自分以外のせいにしてはいけない。どんなときでも自分自身に原因があって試練がきたのだ。自分が原因だとわかれば何がいけないのか、問題なのかが冷静にぶんせきできる。また、次になにをやればいいかもわかる。やらなくてはいけない、このままではダメだと先のばしにしていたことを一気に解決するチャンスなのだ。だから、このチャンスを使って変えてしまうのだ。人間はもうだめだと思ってあきらめたら試練に飲み込まれつぶれてしまうが変わるチャンスが来たと思えば形勢を逆転できるのだ。

試練その二

試練は突然やってくる。そしてみるみる大きくなる。実際より大きく見える。だけれどもそこでうろたえてはいけない。腹に力を込めて、肩の力はすうっと抜く。すると、冷静になれる。そして、どうすれば乗りきれるか。何か今までのやり方に問題がなかったか、問題点があれば改善点を探し手を打つ。試練は何か自分に非があるときに、その非を自分に知らせてくれるために来るものだ。その自分が放置しておいた非をあらためればやがて過ぎ去ってくれる。また、よりつよくなることができる。

安心して風邪がひけること

安心して風邪がひけること。生徒さんについてではない。これは先生方についての話しだ。我々の仕事は教える技術がいることはもちろんだが、体力もいるし、神経もかなり使う。また、国語の専門塾だから顔の表情が豊かでなくてはならない。忙しくなって無理が重なってはいけない。先生方が体調がよくないな、ど思った時に代わりの人がいない状態を作ってしまうと絶対休めない!と思ってがんばってしまう。こういうときはどうしようもなくなって、疲れもたまって倒れるから長引いてしまう。むしろ一人いなくてもなんとかなるなくらいの状況を作っておいた方が先生方がこれはこじらせるとまずな、大事をとって休んでおいた方がいいなと思ってうまくいく。だから常に誰かに仕事が集中してしまっていないか、特定のスタッフに無理をさせていないか目と気を配っておくことが必要だ。

墓参り

休みが取れたので墓参りに行く。実に二十六年ぶりである。二十のときに家を出て、その時二十年間ここにいて今の自分ができた。だから、自分を入れ替えるのには同じ二十年必要だと考えて二十年後の四十になるまでは決して帰らないと決めた。本当に帰らなかった。だが、四十になったとき、まだ納得できなかった。今は心の中にあった塊のようなものがきれいに取れたきがする。だから墓参りに行く。そこに何があるだろうか。