苦しいことを楽しくする

人生は生きていくだけで苦しい。基本は苦しいのだ。だから、苦しいことを苦しんではつまらない。苦しいことを明るく笑って、楽しくやり抜く。大変ですね、とお客さんに言われたら、仕事だから当然のことですよ、と笑って言えるようになる。これがプロフェッショナルなんじゃないでしょうか。

耐えよう

どんな苦しみにも耐えよう。
どんな苦しみにも耐えてみせよう。
俺は今までだってずっとずっと
耐えてきた、耐え続けてきた。
耐えて
じりっ、じりっ、
じりっと、
前に進んできた。
これが俺のやり方なんだ。
いや、これが全うな生き方なんだ。
生き方は変えない、変えてはいけない。
今までずっと耐えてきた。
自分を保ちながら
どんなに崩れかかっても
もうだめだと、いうときでも
ずっと、耐えてきた。
堪えるんだ。
堪えるんだ。
命が与えられている限り堪えるんだ。
そして
与えられた命が全うできたとき
休めばいい。

勝ち目がなくてもやらなくてはならない時がある

勝ち目がなくてもやらなくてはならない時がある。負けるとわかっているのに戦わなくてはならないときがある。それでもやる。それでも戦う。しかし、負けるとわかっているのに必死で戦っていると、少しずつ、少しずつ、形勢が変わってくることがある。負けるには理由がある。力がないか、力があるけれど気持ちが伴っていないか。戦い続けるうちに力がつき、気持ちが伴うようになると、パタパタパタと形勢が変わる時がある。逆転できるのだ。勝ち目がないからやらない、では逆転できない。勝ち目がなくてもやる。それが逆転するためには必要なのだ。

一日一日を着実に生きていくこと。

一日一日を着実に生きていくこと。その積み重ねが、今を充実させるのだ。毎日をいい加減に生きていれば、いい加減に生きていくことが習慣になる。いい加減に生きていくことが習慣になれば、いい加減な人生になる。着実に今を充実して生きていれば、今を充実して生きていくことが習慣になる。今を充実して生きていくことが習慣になれば、充実した人生になる。そしてまた、どんな人生を習慣として生きてきたかは、その人の表情や雰囲気、顔に出る。いい加減に生きてきた人はいい加減な顔になるし、充実して生きてきた人は真剣に生きてきたんだな、というのがわかる顔になる

競争では人は育たない。

競争は大切だ。自分がちょっと怠けたいなと思ったとき、周りが頑張っていると自分もついていこうと思う。それで目的も達成できる。だけれども、何でも競争で、競わされて、たえず比較されていると人は自分で考えなくなってしまう。とにかく勝てばいい、という考えになる。そして、自分のやり方を隠して、誰にも教えなくなる。閉鎖的になっていく。人にはそれぞれいいところと、悪いところがあり、いいところを最大限伸ばしてあげれば喜んで動いてくれる。ガンガン働く人と、のんびりしているが愚直に働く人を競争させても、ガンガン働く人が数字的に勝つに決まっている。愚直に働く人はたえず負ける。こんな競争にさらされていたら、人は勝ち続ける人は勘違いするし、負け続ける人はやる気をなくしてしまう。お互いが教えあう。お互いが支えあう。お互いが感謝しあう。そうすると、一人、一人が自分を肯定できる。自分が肯定できると、そこではじめて他人を認めることもできるし、周りの人に感謝もできるようになる。

心の静けさ

心がとても静かだ。そして、穏やかだ。私の人生はこんなに安心して、心が静かでいられたことは、子供のころを除いてはなかった。もっと、どろどろして、落ち込みやすく、傷付きやすかった。腹もたちやすかった。それが、こんなにも落ち着いて、穏やかでいることができる。人は自分で、自分の努力で、心の中を変えることができるのだ。

最近強くなった。

最近強くなった。何が起きても、いちいち傷付かない。心のなかに不安、悲しみ、怒り、嫉妬、不平、苦しみといった否定的な感情がわかないのだ。生きていれば、それはそれは何が起こるかわからない。たった一日のことでも、いろいろなことが起こる。その時にいちいち傷付かないのだ。何があっても、何が来てもやりきる。そういう気持ちなんだ。

最後の休息

これが最後の休息だ。実際には週に一日は休みがあるのだが、これで当分は臨戦態勢になる。顧客を聞き、顧客を知り、顧客を思い、顧客のためにできうる限りのことをやる。ぎりぎりまで粘る。ぎりぎりまで誠実に教える。支える。これが私の仕事なんだ。

始めからできるわけではない。

生徒のために体を張って人生をわからせる。これが本当のプロの塾講師だ。だが、始めからできるわけではない。まずは、教える技術があってこそのスキルだ。教える技術、何度も繰り返す技術、感情をキープする技術、それらの技術が備わった上でのスキルなのだ。だから、ある程度のキャリアがあることが前提の技だ。教えかたがうまいけれど、何かが、この先生には足りないな、と思われるときがある。その時に乗り越えなければならないスキルなのだ。ここを越えると本当のプロの塾講師と言えるだろう。