心の鍛練をして幸福になれないひとはいない。

人間は適切な努力をすれば幸福にはなれるようにできています。心の鍛練をして幸福になれない人間はいないのです。必ず幸福にはなれるようになっているのです。きれいな心をもち、学び、適切な判断力があり、判断に基づいて行動する勇気があれば人生を切り開いていけるのです。真面目にやってるけどダメなんです。という人は適切な努力をしてない部分があるのです。足りない部分の努力をすれば必ず道が開けます。

心の鍛練は不断の努力がいる。

心の鍛練は不断の努力がいる。人間は甲斐性があっていくら稼ぐか、とかどれくらい立派な学歴があるか、どれくらいえらいかとかだけを追求してるだけでは本当の幸福にはなれない。妻を愛し、家族を愛し、社会のお役にたつ。祖先を敬い、歴史を大切にしてこそ本当の幸福が得られる。本当の幸福を得るためには経済や地位を追求するだけでは足りない。心の鍛練をすることが必要なのだ。そして、心の鍛練はこれで終わりということはない。少しでも傲る気持ちが生まれたり、悲しみに流されたりすると、すぐに心は弱い情けない状態になるものなのだ。人生は何が起こるかわからない。どんなことがあっても強く正しくきれいな心でいられるように心の鍛練を続けることがいるのだ。

心がきれいだと直感で良し悪しがわかるようになる。

心がきれいだと直感で良し悪しがわかるようになる。逆に何かに囚われていたり、自分を見失っていたりするときは直感は働かない。心の掃除をして、きれいな言葉を使って、物事を腹で受け止めることを日々心がけて努力していると自然と直感が的確に働いてくれる。本当に大切なことは直感に考えてもらうことが最も正しく、且つ楽な方法だ。ただ、普段から心の鍛練を怠らないこと。

冷静に正直に自分を見つめる

冷静に正直に自分を見つめよう。仕方がないと思ったり、みんながそうだからと回りにあわせたり、今回はしょうがないと思っても、自分の心の奥にあるもう一人の自分はごまかせない。冷静に正直に自分を見つめると、改めるところは改めることが必要だし、諦めてはいけないことはあきらめてはいけない。いくら言い訳をしても、自分が間違っていれば必ず間違いの種に、芽が出て、花が咲き、実がなるのだ。だから、自分の心の良心に背くことはやらないことだ。

必ず突き抜ける

たとえ、どんなに困難な目標でも、必ず突き抜けることができる。どんなに大変そうに見えても。どんなにハードルが高そうでも。人生は竹の節のようなものだ。竹の中は空洞で、ところどころ節がある。竹の中を上っていこうとすると竹の節をぶち破らなくてはならない。竹の節で自らの体を支えるのだから、当然固い。そう簡単にはぶち抜くことはできない。だから、たいていの人はその節にぶち当たると何回か叩いたり、体当たりをしてみるのだが、その固さのためにあきらめてしまう。しかし、本当は違うのだ。どんなに固い竹の節も数回ではぶち破ることができないだけで何百回、何千回と叩いたり、コンコンコンコンやっていると、ぶち抜くことができるのだ。数回でダメなら何回でも何回でもぶったたけばどんなに固い節でもぶち抜くことができるのだ。やっていくとだんだんとへこみができて、やがて柔らかくなってくるのがわかるだろう。何か先が空洞になっていることもわかってきて、そうなると叩くのも勢いが出る。しかも、一度節をぶち抜くと次の節までは空洞だから、次の節まではすっと上がっていける。そして、次の新たな節をコンコンコンコンと叩いていけばいい。一度わかってしまえば次はまた同じように何百何千と叩いていけばいいなとわかるようになる。必ず突き抜けることができる。人生は竹の節のようなものだとわかっていれば、必ず突き抜けることができる。ぶち抜いて、突き破るんだ。

誠実に真心で生きる。

誠実に真心で生きる。自分の良心に背かないことが大切だ。誰かを犠牲にしたり、踏みつけたりして得たものはどこか脆いものだ。少なくとも長くは続かない。どこかで崩れてしまう。誠実に真心で生きていくのはスピードが遅い。ゆっくりと進むことしかできない。でも、それでいいのだ。土台のないところに急いで家を建てても後で困るだけだ。ゆっくり、ひとつひとつ達成して、前に進んでいくと、いつのまにか遠くまで来ていたりするし、後で加速がつくときが必ずくる。本当に力がついて加速したときに飛躍すればいいんだ。それまで待つことも誠実に真心で生きていくために必要な心構えだ。

寝る前に腹をたてて寝るとどうなるか?

心をきれいに掃除をして、眠る。それだけでいいのです。決して眠る前に腹をたてない。眠る前に嫌なことを思い出しながら眠らない。腹をたてながら眠ることは、私はすぐ腹の立つ忍耐力のない人間だ、と自分で自分自身を洗脳していることと同じことをしているのだ。私は不愉快なことをされても仕方のないつまらない人間だ、と洗脳しながら眠るのと同じことをしているのだ。自分はすぐ腹の立つ忍耐力のない人間だ、不愉快なことをされても仕方のないつまらない人間だ、と思いながら生きていると本当にすぐに腹の立つ、または人から見下される人間に自らなってしまうのです。自分で自分自身を引きずり下ろしてしまうのです。眠る前にきれいな心で眠ろう。

毒を食らわば皿まで

私は毒を食らわば皿まで、という諺が好きです。最後の一番苦しいときに、どうしても早く終わってほしい、とか、もうこの辺でいいか、とか思うときがあります。そんなときに粘る。その粘りで救える人がいる。だから、最後の最も苦しいときに毒を食らわば皿まで、と唱えると最後の最後まで頑張れるのです。

寝る前に腹をたてない。

たしかに、経済も大事です。お金はないと困ります。必要な分は稼がなくてはいけません。しかし、人間は経済でのみ生きているのではありません。自分自身が人生に責任をもち、自立して、心豊かに、希望をもって生きていく。それが本当の幸福です。そのためには仕事だけ、勉強だけではいけない。心の鍛練を不断に継続する。その心の鍛練のひとつとして心をきれいに掃除をする、つまり、眠る前には腹をたてない、不愉快なことを思い出さない、何も考えず、きれいな心で眠る。きれいな心で眠る習慣をつける。すると、日常の生活でも今までなら怒っていたり落ち込んだようなことにでも前向きにとらえることができるようになります。

心の掃除をして眠る。

眠る前に心をきれいにして眠るのは心の掃除をするためです。お風呂に入って体をきれいにして眠るのとおなじです。心もきれいに掃除をする必要があるのです。ただ違うのは体は水で洗えば汚れがとれます。が、心は見えませんから汚れていても平気でそのままにしてしまうのです。方法もよくわかりません。しかし、一日生活すると体だけではなく心だって傷つき、疲れ、汚れています。だから、決して心を汚したまま眠ってはいけないのです。心の掃除の仕方は簡単です。ただ眠る前に嫌なことや、不安なこと、悲しいことを、思い描かない。きれいな心にして眠る。それだけでいいのです。そうすると後は無意識の自分が勝手に今日も一日気持ちよく過ごせたね、明日も一日気持ちよく過ごそうね、と自分を洗脳してくれます。そして、翌日気持ちよく目をさますことができるようになります。決してその日あった嫌なことを思い出しながら眠ってはいけませんよ。それは心が泥だらけのままねむるということですよ。いいですね。