自分で選んだ道の蓄積であなたの人生ができるのです。

自分で選んだ道の蓄積であなたの人生ができるのです。誠実な道を選ぶ人は耐えず誠実な道を選び、やがて誠実な人間に囲まれて生活し、誠実な顔になる。卑怯な道を選ぶ人は耐えず卑怯な道を選び、やがて卑怯な人間に囲まれて生活しますます卑怯な顔になる。誠実な道を選んでいるのに卑怯な人間になることは決してない。また、卑怯な選択をしているのに誠実な人間になれることも決してない。だけれども、いつでも人は変わることができる。今までどんな生き方をしていた人間でも、たった今から選び方を変えれば、変わることができる。遅すぎるということはない。たしかに、今までのことは変えることはできない。だけれども、今からのことは変えることができる。逃げ続けた人も、たった今から挑むみちを選べばいい。卑怯な選択をしていた人も、たった今から誠実な道を選べばいい。楽な道を選んできた人も苦しいが実りのある道を選べばいい。

骨休み

落ち着く。心が和らいで、ゆったりした、とてもいい気持ちだ。ようやく、神経が通常に戻ったんだな。このまま、春の日差しを浴びて、この気持ちのままでいたいな。

苦しい道と楽な道があれば苦しい道を選ぶ。

苦しい方と楽な方のうちどちらを選ぶか決めるときは、苦しい方を選ぶ。楽な方を選ばない方がいい。楽な道を選ぶと後悔することが多い。何の経験にもならない。苦しい道を選ぶと課題をクリアするために考え、行動しなくてはならない。考えることで智恵がつく。また、決断することで勇気を得ることができる。行動することで結果にたいして責任を負うことができる。経験が財産になる。何かにチャレンジするということは智恵と勇気、経験値を積むことなのだ。苦しい道と楽な道があったら、苦しい道を選ぼう。

意識の差が結果の差を生む。

たしかに、能力というものはある。環境によって左右される面も、人生にはある。だが、たとえ能力や環境は自分で選ぶことができなくても、自分の、自分自身の意識だけは自分で選ぶことができる。どんなに理不尽な生活に追われていても、そのまま流されて落ち続けて行く道を選ぶのか、それとも、一歩でも前進する、いや、踏みとどまって前進する道を探ることを選ぶかは、実は誰からも拘束されない、自分だけが選ぶことのできる権利なのだ。そうだとすればたとえどんな状況にあろうと、踏みとどまって前進する道を探ることを選ぶことが充実した人生を生きるための確実な方法だ。

人生は苦しいものだという認識をしっかりと持つ。

人生は無常である。片時も同じ状況はない。いくらうまくいっていても、いつかは終わりが来る。また、いくら苦しくても、その苦しい時も終わりが来る。これでいいということはない。絶えず、変わっていく。だから、人生は変わっていくことが当たり前だ、平和がいつまでも続くものではない、いつなんどき何が起こるかわからないものなのだという認識をしっかりと持つことだ。そうすると生活が安定していると、ありがたいことだなと感謝できる。世の中が平和なら、平和なことが当たり前なのではなく、ありがたいことだなと思えるようになる。

耐えに耐えに耐える

どんなに華やかな仕事でも、その影には膨大な忍耐が心の奥の奥に横たわっている。結果を出すのは一瞬だが、その背後には何度も何度も、もうだめかな、という時がある。人はいつもいつも調子がいいわけではない。なんとなくやっているだけというときもある。そこに忍耐がいる。もうだめかな、というときでも何度でも何度でも這い上がっていく。何回も何回も飛んでみる。その時すぐにできるわけではない。それでも、ある時すっと、というか、スルスルスルっと上に上がれる時がくる。一度上に上がるとそのあとはしばらく、上昇し続けることができる。そして、また壁に突き当たる。その繰り返しなのだ。どんな華やかな仕事でも、その影には膨大な忍耐が横たわっている。

やっときちんと育てられる。

中学受験もこれで終わった。生徒の入れ替わりも一段落着いた。これでやっと人をきちんと育てられる。新人をきちんと育てると楽しい。これがプロなんだよ、っていうレベルをひとつずつ、ひとつずつ教えていく。始めにきちんと教えないといけない。中途半端に教えないほうがいい。ほんの少しずつでも、しっかり出来るまで教える。このレベルがお金をいただける水準なんだというのを徹底して教えるのだ。始めに月謝をいただけるレベルをわからせると、途中苦しくてもそのレベルでやり続けることができるのだ。こんなものでもいいかな、というレベルで許してしまうと苦しいときに、まあいいかと妥協させてしまう。だから、きちんと育てる。やっと人をきちんと育てられる。うれしい。

顧客の心からの満足を優先する

絶えず、顧客の心からの満足を優先する。そして、顧客の方々に応援していただく。これが究極の宣伝なのだ。顧客の心からの満足は、良質な商品をつくり、提供し続けることでしか得られない。それ以外にない。いいなという人を採り、育てて、出していく。それを愚直にやる。宣伝に資金をかければかけるほど、商品の質は落ちるのだ。いい商品をつくり、提供し続けること。それが究極の宣伝なのだ。

気付く

俺は色々な人の人生を背負っているのだな。これが神から私に与えられた課題なのだな。神から与えられたのならば背負わなくてはならないな。俺は家族の人生を背負っている。顧客の人生の一部を背負っている。そしてまた、先生たちの人生の一部を背負っているのだな。全然気が付かなかった。とてもおもい。あなたとなら乗り越えていけるだろう。

宣伝は少なく

宣伝は少ないほうがいい。できれば、いわゆる広告はしないことが理想だ。では、どうやって知ってもらうのか?どうやって宣伝するのか?今いる顧客にできる限りこことをする。打てる手が有る限りのことをやる。ここまでやってもらうなんて申し訳ないな、とか、ここまで考えてもらえるなんて、やってもらえるなんて、これは親しい友達に言わないではいられない、というところまでやる。そこまで顧客と信頼関係が築ければ話していただける。そういう信頼関係を築き続ける。それだけであまり宣伝はいらなくなる。心から感謝してもらって、親しい人に安心して紹介できるようになればいい。