心を大切に丁寧に扱う

可能性が1%なら、99%のほうを見てはいけない。1%でも可能性があることをシッカリと認める。その上で1%を2%にするための努力をはじめる。そして、可能性が2%になったら、98%のほうを見てはいけない。2%可能性があることを喜べばいい。その上で2%を4%にするための努力をする。たしかに、数%の可能性はあきらめるには十分な低さだと思う人もいる。しかし、数%がじりじりと上昇していくと気持ちに火がつく時がくる。火がつくと後ははやいのだ。この時期に、あ、この子は火がついたな、可能性はまだ数%かもしれないが逆転するという強い意志がこの子の心に生まれたんだな、とわかることがよくある。子供の意志が生まれたことを、新たなスタートを気付かない母親はいない。そうなると苦しいのだけれど突っ走ることができる。

失敗の原因を考えて防止のためのシステムをつくる

失敗があったときは、失敗してしまった人は言い訳をしたがるし、仕事を頼んだ人はムカッとしやすくなる。そういうものだと思う。だから、失敗してしまった時は言い訳をしなくていいようにする。報告しやすいようにする。仕事を頼むほうが失敗を快く受け入れることができるようにすればいい。お互いが気持ちよく仕事をするためには、始めにきちんと教えることだ。その上でやってもらうと、そもそも失敗が起こりにくい。また、失敗が起きても謝りやすいし、責任の所在もわかりやすい。

失敗を責めない

人を採用したときは、始めにきちんと教える。教えたうえでやらせる。できたらほめる。ほめられた仕事は大抵一生懸命やってくれる。逆に失敗することもある。失敗したときにその人を責めたりしないほうがよい。失敗したときに、ほとんどの人は自己を防衛するために言い訳を言ったり責任を回避するようなことを言う。そのときに相手が非難する言動をするとお互いに責任のなすりつけあいになってしまう。さらには、こんなにいやな気持ちになるなら隠したほうがよい、と隠蔽するようになる。だから、失敗をしたら責めないこと。どうすればよいのか、どうすればよかったのかをたんたんと教えてあげる。その上ですぐにやり直す。それだけでよいのだ。

心のもちかたを教える

人を採用する。研修する。だんだんその人のことがわかってくる。前の仕事場でどんな風に働いていたか、どんなところがその人にあっていなかったのか、わかってくる。大抵は本人が山や谷が来たときにどういうふうに考えればよいのかを知らない人が多い。仕事をしていれば日日様々な事が起こる。その時いちいち傷付き、傷付きながら我慢に我慢を重ねて働くのだろう。もちろん会社の人がめんどくさい事を真面目な人に押し付けるとか会社に問題があることもある。しかし、それをまともに受けて傷付いてしまう選択をしたのはその人本人なのだ。トラブルは心でまともに受け止めたら駄目なのだ。トラブルは腹で受けるのだ。腹で受けると心が傷つかない。心が傷付いた状態でどうしたらよいかを考えても本の心が落ち着いてないのだからまともな選択ができなくなってしまう。まずはトラブルを腹で受ける。そうするとどんなトラブルにも誠実で、相手方にも自分にも最良だといえる手が見えてくる。そうするとトラブルはもはやトラブルではなくなる。顧客には上質なサービスになり、その人にはキャリアとなり、智恵になる。

一定のレベルに来るまで出さない

先生は一定のレベルに来るまで出さない。きちんと教えて育てている以上、これなら顧客をつけても何とかなるというレベルまで、頑張ってもらう。駄目なら出さない。顧客から受講料をいただくだけの価値を提供できなくてはならない。それがわからないのならばこの仕事はむいてないということだ。ここを乗り越えたものだけが教壇にたてるのだ。プロなのだから当たり前のことじゃないか。

今どのあたりなのかを見せる

新しい生活には不安が伴うものだ。こちらが見所があるな、あとこれくらいで出せるな、と思っていても真面目にしっかりした人ほど自分がちゃんとやっていけるのかが不安になるようだ。だから、今あなたは一人前になるまでの過程の中のどのあたりに来ているのかを適宜見せる。自分の位置がわかるとあとどれくらい頑張ればいいのかが理解できて不安もやわらぐ。自分は先々プロの国語専門塾の講師になれるんだという自信も出てくる。本当に自身がつくのは3年かかるのだけれども。

人を育てる

人を採用したらきちんと愛情をかけて教える。やってみせて、やってみせて、やってみせて、やらせて、やらせて、やらせる。できるようになったら褒める。不思議と誉めちぎったことはそのあともシッカリやってくれる。始めにきちんと教えて基本を押さえさせればある程度のところで勝手に伸びていく時期がくる。それで少し手が離れる。

始めにきちんと教える

人を採用したら放っておいたらいけない。仕事は盗むものだ。とか、背中を見ておぼえろ。とか、そういう考えもあるけれども、普通のなにも知らない素人が何を理解できるだろう。親が教えたら何時間もかかって、しかも、怒鳴りながら。親も子もへとへとになりながら学ぶ。それを数分で理解させて、できるようにする。その胆を徹底的に教えるのだ。プロになりたいからここへきたのだから。どんどん教える。そのかわり、これならOKだな、と思えるまで決して出さない。それだけの力がその人に備わらないなら出さない。それが厳しさだと思っている。

乗り越える

乗り越えるのは本人にしかできないことだ。回りの人間は信じて見守ることしかできない。だが、大丈夫だなとわかるようになる。回りがやれるだけのことをやってあげると、やがてその人自身から力強さと言うか安心感がにじみ出てくる。そうなると本人も回りも落ち着いてくるものだ。大丈夫だなというふうになってくるのだ。それが乗り越えたということなのだ。