よくぞここまで持ちこたえてきたな、自分。

よくぞここまで持ちこたえてきたな。今年は夏から秋にかけて休息をとることがほとんどできなかった。それだけ顧客に必要とされているということだからありがたいことなのだが。そのため本当に大変な勝負所が持ちこたえることができないかもしれないと思うときがほんの少しだけあった。よくぞどんな問題にも逃げずに受け止め形勢を逆転していく意志を貫くことができた。ゆっくり休めばいい。おつかれさまでした。そして、ここまで持ちこたえることができたのは私の注文に応え続けてくれた先生方とアシスタントの方々のおかげです。どうもありがとうございます。

これで

私の今年の仕事はこれでみんな終わる。終わった瞬間の高揚した開放感が好きだ。そのとき飲む一口目のビールも好きだ。そして、終わってしまうと、あの生徒さんにはもっといいやり方があったな、とかすぐに浮かんで来るときも好きだ。あんなにもくたくたで、疲れきっていたとしても必ず毎年そう思う。私の今年の仕事は今日でみんな終わる。

腹でうけとめる。

日日に起こる出来事に直接、心で受け止めるとビクビクビクビクしていなくてはいけなくなる。だから、日日起こることは腹で受け止めるんだ。。では、どうやって腹で受け止めるのかというと、肩と、下腹部と、肛門を使ってやる。まず、下腹部に力を入れて、次に肛門をきゅっと閉める。そして、肩をスッと落とす。それだけでいい。いつもなら、心で受け止めていると、心が泡立ったり、血の気がひいたり、真っ青になったり、腹が立つ、頭に血が上る、といった心を通り越して神経や血液にまで影響が達してしまう。それが下腹部に力を入れて、肛門をきゅっと閉め、肩をスッと落として受け止めると、落ち着いて、冷静でいられるのがわかるようになる。はじめはできない。でも、受け止めかたを腹で受けるように努めていくと、やがて、これが腹で受け止めるということだな、と、こうやって日日起こる出来事に対応していけばいつも直線の道で歩いていけるな、とわかるようになる。下腹部に力を入れて、肛門をきゅっと閉める。そして、肩をスッと落とす。それだけでいい。

粘り抜いて結局、実現する。

大抵のことはできない理由をあげてやらない。時間がない、お金がない、協力者がいない、設備がない、と。でも、なにもそろってなくたって、あなたがいるではないですか。あなたがたった 一人でもいるではないですか。時間がなくても、お金がなくても、誰も協力してくれなくても、あなたがやれることをやる。そうすると、結構できるんです。本当に自分のやりたいことならば、頭を使ってやれることをやっていけばいい。たしかに、なにも揃ってないのだから苦しいときもあります。でも、本当に自分のやりたいことならば、粘って、粘って、粘り抜くんです。そして、勢いがつくまで粘り抜くんです。すると、ある時スルスルスルっと上にあがらせてもらえます。そのときは粘っていたときが嘘のようにある程度のところまでは上っていけるんです。そういう経験を積んでいくと、どうすればうまくいくかがわかってくるんですよ。これを勝ちぐせと言います。

飛躍した後はしばらく停滞する。

飛躍した後はしばらく停滞する。なぜなら、飛躍した時は膨大なエネルギーをつかっているからだ。心も体も疲労しているのだ。また、飛躍すると達成感があるので、しばらくの間ゆったりしたくなるものだ。こういうときはすぐに次の目標を示して頑張らせてはいけない。少しの間エネルギーをためさせるのだ。休めばいいのだ。そうすると自然と気力が回復して次の課題に着手することができるようになる。このエネルギーをために入るときに、こんなにゆったりしていていいのだろうか、とか怠けているんじゃないか、とか思う必要はないのです。飛躍した後はエネルギーを回復するための休息がいるのです。

あなたにはいつも二つの道が用意されています。

生きていれば辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、嫌なこと、傷付くこと、想像もしないようなこと、いろいろなことが起こります。生きていれば当たり前のことです。雨が降れば風も吹くし、嵐だってくるし、吹雪のときもあります。生きていればこれらを避けることはできません。ただ、あなたには嵐が来ても、吹雪が来ても二つの道が用意されています。一つはあなたがつまずいたとき、転んでしまった、石が悪いんだ、この石をここに置いた奴のせいで自分は転んだんだ、と他人のせいにしたり、誰かに助けてもらおうともたれかかる人を探したり、つまり、自分以外のことに原因を求める道が用意されています。二つ目の道は、あなたがつまずいても石のせいにもせず、石を置いた人のせいにもせず、助けも求めず、ただ転んだら泥をはらい、擦りむいたら水で傷口を洗い、立ち上がり再び前を向いて自力で歩く道です。その時うらみがましいことを言ってはいけません。学ぶのです。こういうところにはつまずきやすい石があるものだな、これからは注意をして歩こうとか、進んで次に来た人が転ばないようにどけておいてあげようとか、この大変なときにこの程度の擦り傷ですんでよかったな、とか学んでいくのです。いいことがあったら感謝をして、さらに、マイナスのことに出会ってもまた感謝をするんです。そうすると、どんなときも楽しく生きていくことができるようになります。さらに、いやなことが起こらなくなってきますよ。

ひとつひとつ確実にわからせる

ひとつひとつ確実にわからせる。これが結局は力をつけるための近道だ。丁寧に読む。ていねいに
解く。図や線分図をきちんと書く、式を書く。流れを理解した上で覚える。繰返しをやりながら理解を深める。実はそんな当たり前のことを着実にやっていく。とてもシンプルなんだ。確実にわからせる。確実に自分のものにしていく。そうすると落ち着きが出てきて、やがて飛躍するときがくる。不思議と必ずやってくるのだ。

お母さん、男の子は手間隙かけてるとポンと成長するのですよ。

お母さん、男の子は手間隙かけてるとポンと成長するのですよ。たとえけんかになっても愛情をかけ続けるのです。やれることをやってあげる。いいと思うことをやってあげる。子供だから役に立ってるのかわからないときもあります。でも、お金の無駄だな、とか、費用対効果なんて考えてたらいけないのです。愛情をかけ続けていれば必ず、通ずる時が来ます。本当に必ずやって来ます。私にとってその時が最も嬉しいのです。お母様もわかるはずです。

親をうらんでいる人へ2

そう思うと、力が抜けて母を許せるようになったのです。むしろ感謝の気持ちが自分には無かったということに気が付いたのです。父と母が出会い、愛し合って私が生まれた。二人の出会いがあったから私が生きていられる。出会ってくれてありがとうと。父と母は私が生まれてからはろくに遊びもせず私に三度三度ご飯を食べさせてくれた。ちゃんとご飯を食べさせてくれたから今丈夫な体で生きていられる。ご飯を食べさせてくれてありがとうと。私立にもいかせてくれたし、大学にも行かせてくれた、留年しても文句も言わないでいてくれた、みんなが就職しているのに私がぶらぶらしていても見守ってくれていたな、そう考えるとありがとうの一言もない自分の方がはずかしいなと思ったのです。一度、あなたもお父さんお母さんにしてもらったことを思い出してみるといいですよ。

親をうらんでいる人へ

あなたは親からこんなことを言われて傷ついた、とかみんなはこれくらいしてもらってるのにこれっぽっちもしてくれなかった、とか思ってるかもしれません。そして、そのために自分がこんな人間になってしまった、とか今自分がダメなのは親のせいだ、とか思ってしまっているかもしれません。しかし、あなたのお父さん、もしくはお母さんをうらむということはあなた自身の否定を意味するのですよ。なぜなら、あなたの起点はあなたのお父さんと、お母さんの愛だからです。実は私も親をうらんでいた時期がありました。随分長いことうらんでいました。でも、ある時見方を変えてみたのです。うらんでいたときはあれもしてくれない、これもしてくれなかった、こんなことを言われ続けた、と、母の未熟な面をうらんでいたのです。ですが、よくよく考えると毎日毎日働いて、家族のためにご飯を作ってくれて、掃除もしてくれて、洗濯もしてくれて、自分の時間もほしかったろうに朝早く起きて、来る日も来る日も私を育ててくれたんだな、よくやってくれたんだな、おかげで今の自分があるんだな。と、