負けることがわかっていても戦う

人間には負けることがわかっていても、戦わねばならないときというものがある。負けることがわかっていても、引き受ける。負けることがわかっていても、必ず勝ちますといい続ける。負けるとわかっていても、大丈夫だという姿勢を崩さない。負けるとわかっていても、最後の最後まで戦い抜く。負けるとわかっていても、勝ちましょうと励ます。
なぜ、負けるとわかっているのに、戦うのか?
どうして、負けるとわかっていても、絶対に勝てるといい続けるのか?
なんでなんだ?
それは、
それは、
負けるとわかっている勝負をひっくり返すことが、私の仕事だから。

もうすぐ名古屋だ

もうすぐ名古屋だ。帰ってきた。東京から帰るときは、いつも、終電だ。夜の電車に乗るのはほとんどないから、この新幹線の終電に乗るのは寂しさを伴う。帰るのが零時を過ぎるのもまた、寂しさを増大させる。これで当分このひかりに乗ることはない。しばらく解放される。金曜日はやすめるのだな。そう思うと、ほっとするな。

成功し続けることの苦しみ

成功し続けることにいつも苦しんできた。
なんでこんなに頑張り続けなくてはならないのだろう?
そう思いながら、維持し、発展するために、必死でやる。
それでいて、思い通りになったら、なったでうれしいのはほんの一瞬。
すぐに次が待っている。
次をクリアするために、また苦しむ。
キリがない。
だからといって、すべてを投げ捨てるのはどうかというとそれは違う。
気晴らしとか、旅行とかも、いくら贅沢をしても、成功し続ける苦しみから、逃れることはできない。
普段から、謙虚にしていても、それでいいわけでもない。
何だろう?
一体、何が苦しいんだろう?
努力しても、うまくいっても、いかなくても、この苦しみから逃れることはできないのか?

その答えは、ある。
穏やかに、心が静かに、落ち着いている、
どんな時でも、心だけは澄みきっている、気持ちよく生きられる。

そんなふうに生きていく答えがあるのだ。

不思議。

人には徹底して親身にする。そして見返りは求めない。

口コミだとか、紹介してもらおうなんて卑しい気持ちで仕事をしたらいけません。顧客を知る。顧客を思う。顧客にできうる限りのことをする。顧客を守る。顧客を助ける。顧客を引っ張りあげ続ける。顧客を励ます。顧客の不安に決して引きずられない。顧客を絶対に見捨てない。人には徹底して親身にする。顧客に心から信頼してもらうことに徹することだ。それでいて見返りは求めない。恩着せがましいことも一切しない、言わない。もちろん報酬は適切にいただかなければなりません。でも見返りは求めてはいけないのです。それがプロとして当たり前と思うからです。

なんでわからなかったのだろうな

仕事は生きる手段である
お金は生きる手段である
愛もまた生きる手段である
家族もまた生きる手段である
なんでわからなかったのだろう?
もっと大切なものがあることに
手段は大切、とても大事
仕事をしっかりやる、いいことだ
お金を稼ぐ、あるに越したことはない
愛も、家族も、かけがいがないものだ
でも、すべてはやがて別れがくる
考えてみもしなかった
俺は手段を用意周到にやり続けただけだ
手段を完璧にやるほど
際限なく走らなくてはならない
もうこれ以上速く走れないようになって
やっと、わかった

手段は大事

でも、すべてではない

文章を書くということ

私は二ヶ月に一本、桜葉通信という塾内のお知らせにコラムを書く。そのコラムの原稿が完成した。完成すると安心して、ボーっとした放心状態になるが、今がまさにそういう状態だ。通信を出す月が近付くと、先生に通信お願いしますよ、と締め切りを伝えられる。この前書いたばかりなのにもう二ヶ月経ったのかと、その都度思う。しかし、仕方がない。書かねばならない。まず頭を悩ませるのはネタだ。ネタを絞り出さなくてはならない。絶えず、頭のどこかで、次は何を書こうか考える。そして、ネタが決まると、構成を考えて、わくが決まればあとは書くだけだ。だいたい出てくる。始めは辛かったが、慣れてくると、少しだけだが書き方がわかってくる。何事も続けることなんだな。

もうひとつの家族

 私が、人生について迷い不安におののいていた若いころ、よくこんな私に話し掛けてくれたり飲みに連れていってくれる大人たちがいた。話をきいてくれたり、こんなときはこうするといいよ、というような話をしてくれたりした。今から考えると親以外にそんな大人たちが私の回りには不思議と現れ、励ましてくれ、なんとかこの業界でご飯が食べられるようになり、家族にも恵まれ、おまけに独立し名古屋、京都に店をだすことまでできた。私はいろいろな人に支えられ、背中を押してもらってここまでくることができた。
 ある時、いつもいつも飲みに連れていってくれ、いろいろな話をしてくれる人に、どうしてこんな私にここまでいろいろ親切にしてくれるのですか?と聞いてみた。すると、その人は、私も若い頃はあなたと同じようなものだった。人生について悲観したり、不安になったり、何より自分に自身がなかった。でも一生懸命に生きていれば不思議と本当に迷ったり苦しくてどうしようもないときに助けてくれる人に出会えるものなんだ。私もそういう人に助けられてここまで来ることができた。だから、自分がそれなりに年をとり、社会に少しでもお役に立てるようになったら、自分の若いころのような青年がいたら自分がしてもらったように少しでも支えになってあげよう、勇気づけてあげよう、そう思っていた。また、そうすることが自分を支えてくれた人への恩返しになる。と。 
 その時、私は絶対に1日も早く一人前になろう。社会のお役に立てる人間になろう。そして一人前の大人になり歳をとったら、今の私のような人たちのほんの少しでも支えになれるような人間になろうと誓った。だから桜葉塾の講師には時間と手間をかけて一生懸命に研修をし、私の培ったものを伝えている。そして彼らがプロの国語専門塾の講師になり生徒さん、保護者の方から信頼されることによって自信をもってゆく。それがとても嬉しい。
 そして、今のスタッフが歳をとったら、また私にしてもらったことを次の人たちに伝えていってほしいと心より願っている。では。

独立を保つ

独立を保つことが何よりも大切だ。何を急ぐことがあるだろうか。なぜ大きくならなければならないのか。顧客がいてもいいスタッフがいなければ顧客は離れていく。いいスタッフがいても顧客がいなければスタッフが離れていく。まずは顧客に心から満足して、感動してもらう。それを愚直にくりかえす。無名だけれど実があるという状態をひたすら続ける。そうするとある時ばっと爆発する。それがまっとうな商いだと言える。

人間は死なない。

人間は死なない。もちろん、体は溶けてなくなってしまう。物理的には、灰になって土に帰る。しかし、その人の残した言葉とか、愛情とか、魂とか、心意気みたいなものは、その人と交わった人の心の中に波動として生き残っていく。その人の生きてきた波動はいつまでも永遠に残る。だから、いい波動をだけを残して一生を終える。それが、人間として生まれた者の使命ではないか、と思うのだ。