眠れ

疲れた時はよく眠れる。生徒さんがわかった、というレベルと心から納得し理解してやり込んでいくレベルとでは、後々残っていく理解の質が全く異なる。始めにどれだけ納得できるところまで教えきるか、これで頭に、そして、心に思考として残っていくかが決まるのだ。生徒さんの顔を見ながら本当にわかったか、流れもつかめたか、心から納得しているかを計りながら、神経を張り巡らせて教えていく。昨日よかったやり方が今日もいいとは限らない。同じ内容を教えていくのでも、生徒さんの一人一人でアプローチが違うのだ。そのポイントが授業のある時点でわかる。そうすると刺さっていく。そういうことなんだな、やっとわかった、という表情になる。これを毎日、毎日やる。疲れるのだ。夏の終わりには疲れのピークを越えてしまう。疲れはてたな、と思ってもまた、疲れを越えていく。生徒の成長が実感できればやれてしまうのだ。そして、目をつぶると直ぐに眠れてしまう。また、目をあけるともう朝なのだ。

やれることをやりきったなら、あとは何を言われてもいい。

やれることをやったら、あとは何を言われてもいい。評価は他人がするものだ。ここまでやる、と決めてちゃんとここまで以上にやる。そうしてら、あとは堂々としていればいい。やれることをやりきったのならば、相手が喜んでくれればそれでいいし、相手が喜んでくれなければそれは相手の問題なのだ。大事なのは自分が考えられることをちゃんとやりきることだ。

良質なサービスを貫く。

良質なサービスを貫く。人を採用して、育てる。一人前になってもらう。その人にプロの国語専門塾の講師として誇りをもって仕事をしてもらう。そして。顧客の要望を聞いて問題が解決するまで手を打ち続ける。その間決してあきらめず、嫌な顔ひとつせず、対応する。顧客の要望は一見むちゃくちゃだったり、理不尽だったり、一方的だったりするが、それは表面的なものだ。じっと耳を傾けていくと全く違うことで悩んでいたり、問題点がはっきりと見えてくる。問題点がはっきりとすれば適切な手も打てる。逆に言うと、本当の問題点がはっきりしてないのに一般的な当たり障りのないことをやってあげても無駄な労力になる。だから、やるなら顧客の要望にしっかりと耳を傾け、本当の問題点がはっきりわかるまで話を聞き抜くことなのだ。

恐怖心

誰だって新しいことを始めるときや、未知のことに足を踏み入れるときには恐怖心を感じるはずだ。どんなに屈強な人間でも恐怖心は無いはずはない。むしろ、恐怖心はなくてはならないものだ。失敗することだってあるし、途中で頓挫することだってある。あらゆることを予め想定しておく必要があるのだから、まともな感覚の人間なら恐怖心はあるのが当然なのだ。そこで、どうすればいいか、というと、恐怖心から挑むことを避けてしまうのは愚かだということだ。恐怖心から、あらゆる場面を想定しながら、周りの動向を見て、計画を立てて、行動にしていくことだ。行動していけば、なにがしかの反応が得られる。行動していくと、そのほんの些細な反応が貴重な経験になる。その経験が後々に他の場面で役に立つのだ。

本当のプロは本当に大事な時にピシッとさせることができる。

本当のプロは本当に大事な時にピシッとさせることができる。たしかに、この仕事はわかりやすく、粘り強く、何度も何度も繰り返し、教えて実力を確実につけていくことが求められる。それだけでも立派な技術である。しかし、難関校に入れるためには、教えて、わからせ続け、粘り強く接するだけでは足りない。決定的に足りない。何が足りないのか?難関校に合格するには、知識だけでは足りない。立ち向かう勇気と、本物の真剣さがその子に生まれなければならない。勇気と絶対的な真剣さが生まれなければ、どんなに知識があろうと、どんなに頭が良かろうと合格できない。本当のプロは勇気のない生徒に勇気を持たせることができる。本当のプロは、11か12かそこらの小学生に絶対的な真剣さを心に生まれさせることができるのだ。

逆境は成長の糧なんだ

逆境は決して罰ではない。逆境は成長の糧なんだ。神があなたならやれるから、やってごらん、という、その人に与えられた試練なんだ。どんな試練でも必ず意味がある。その意味を見出だして、試練に挑む。逃げない。誠実に取り組む。戦うのだ。

商売は急いだらいけない、

商売は急いだらいけない。スピードが勝敗を決する時は必ずある。スピードが大事な時は一瞬だ。だが、長く商売をやっていこうと思ったら、本当によいものを育てて、顧客に信頼してもらわなくてはならない。よいものを育てることが顧客の支持をいただく唯一の方法である。もちろん、顧客の要望に適格に応えたり、タイミングよく商品を供給するというビジネスの観点は必要だ。商売なのだから。だが、スピードや、タイミング、商売の上手さの根底には、いいものを世に出すための地道な努力と、人を一人前に、プロに育てていくことが必要なのだ。人はスピードでは育たない。長い長い時間をかけて学び、実践し、自信をつけながら、その人の人生をより良きものに変えていくことで本当の指導者になる。この長い視点が必要だ。

俺はあと、何年働けるだろう

俺はあと、何年働けるだろう。この業界に飛び込んで必死にやって来た。命を賭けてきたと言ってもいい。はじめの五年は東京で修行した。そして、次の十年は三重で自分で、一人でやれることをやりきってきた。そして、この十年で桜葉塾の基盤を造った。これから自分ができることは何か。あと、二十年はやれるだろう。二十年あるとすると、まだまだこれからいろいろな流れがあるはずだ。この二五年の間にも塾業界に潮目が変わる時が幾度かあった。その潮目、潮目を見極めることができたから、やっていくことがだきたのだろう。この十年桜葉塾のために、走ってきた。国語の専門の塾なんて誰もやってなかったから、走り続けるしかなかった。だが、時代は変わる。生徒さんの力をつけること、それは変わらない。が、流れは変わる。これから十年をしっかりと見つめよう。そして、これから十年で、また二十年で、何をするのか、何をしたいのか、実現していくのか、見つめなくてはいけない。自分を見つめ、時代を見つめることが今の自分には必要なのだ。

十年は長いし、短い

十年は長い。十年でいろんなことができるからだ。助走期間があり、立ち上がる時期があり、流れが変わる時期があり、成長する時期があり。そして、目の前にくる課題を適切に見極めて、その都度手を打っている間にほぼクリアしてきた。そんなうちに十年が経過した。ここ二、三年は仕事は大変だったが、経営は楽だった。それは運営の仕方が確立したからだ。だいたいのことは見えてきたのだ。だが、だいたいのことが見えてきたらもう、次を見つめなくてはならない。今のわかったものに、わかりきったものにしがみついてはいけない。次を考えるのだ。ビジネスは十年で、回転していく、特に成熟した資本主義の社会では腐化していくのも早い。陳腐化する前に次を考えるのだ。これから十年をしっかり見つめるのだ。