何の煩いもない気持ち

何の煩いもない、恐怖もない、不安もない、怒りもない気持ち。安らかで、落ち着いた気持ちでいられること。これが、幸福だ。体から不要な力が抜けて、自然とエネルギーが湧いてくる。心はいつもそういう状態にしておくこと。

感謝します

ここまで歩いて来ることができたことに奇跡を感じる。でも、ひとつひとつ積み重ねてきた結果とも感じる。どちらも正しいのだ。ここまでやってこれたことに、また、関わってくださった方々に心から感謝します。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

ようやく心がやすめた

去年は無理をした。無理に無理を重ねてしまった。お陰で心の中に雑念や妄念がたまってしまったのだな。心のケアもできなくなってしまっていた。心のそうじをして、これでいいかなと思っても煩悶や恐怖、不安が出てくる。相当無理を重ねてしまったのだ。お前の仕事は崖の淵に立っている人を支え、勇気づけ、前に進ませることだから、仕方がないのかもしれないが、無理が重なったのだ。でも、ようやく心がやすめたよ、と言ってくれている。心をやすませてやって。心が安心すれば、心は働いてくれる。

何のために生きるのか

僕は何のために生きているのか。このこたえを探しながら生きてきた。何のために生きているのか。ずっと、自分がしっかりやれるようになることだと思っていた。自分が社会の中で成功できればそれでいいと。人様より多くのお金が稼げればいいと。でも、そんな自分という箱がきれいでも、その美しさを見て満足してたって、だんだん、だんだん自分の心の宇宙が腐ってくるんだ。人は自分のためだけに生きていたら、それは何の価値もない人生であると断言していい。自分がそれなりに確立できたなら、もう、次に行く。どれだけ多くの人を幸せにして、共に喜べるか。それが答えなんだ、

勇気をもらうときもある。

自分で言うのもなんだけど
僕は様々な人達に勇気を与えてきた
僕と関わった様々な人達に
たくさんの勇気を与えてきた。
でも、
そんな僕も
疲れはて、力が抜けてしまった
時があった
たった今まで
力が抜けてしまっていた
だけれども、
だけれども、
だけれども!
僕が勇気をあげてきた人が
人達が
こんなにも
立派に成長して
蛹から蝶になると
それだけで
もう、
じゅうぶんの
勇気が
僕に
この僕に
疲れはてたこの僕に
与えられている
勇気を与えてきて
損だと思ったことは
一度もない
でも、
帰ってくるときもあるんだな
こんなにも疲れはてた僕を
生き返らせるだけに
じゅうぶんな
勇気を
いつか
帰ってくるときもあるんだな
返してくれなんて
思ったことは
一度もないけれど
帰ってくる。
今の僕には、
とても大切な、
お返し

守る

家族を守る。
スタッフを守る。
顧客を守る。
何か予期せぬことがあったとき、
家族を守る覚悟を持つこと。
スタッフを守る覚悟を持つこと。
顧客を守る覚悟を持つこと。
覚悟。
覚悟。
覚悟。
家族を持つということは、
家族を守る覚悟がいる。
スタッフを抱えるということは、
スタッフを守る覚悟がいる。
顧客を持つということは、
顧客を持つ覚悟がいる。
いつも覚悟を持って、
生きていこう。

花が咲く

何年も、何年もかけて、花が咲いた。何にも前に進んでないように見えた日々もあったのに、花が咲いた。なかなか咲かなかったけれども、咲いた。簡単に手に入る花よりも、なかなか手に入らない花の方が手に入ったときの喜びが大きい。なかなか咲かない花が咲いたときの方が喜びが大きい。今日、そんなことがわかった。

うまくいっているときは修正がきかない

うまくいっているときは修正がきかなくなる。うまくいってるのだからいい。うまくいっているから変わらなくていい。うまくいっているから、これではいけないとわかっているのに自制がきかなくなる。うまくいっているときは、特に膿がたまりやすいのだ。ただ、だからといって修正がきかなかったことを悔やむ必要はない。すみやかに修正すれはいいだけのことだ。落ち込む必要もない。気持ちを切り換えて、直すところを直して、正すものは正して、改めるところは改める。これですっきりする。

やっとわかった。

やっとわかった。長い間、ずっと、考えて、考えて。ある時は放っておいて、また、考えて。だめかなと思ったり、それでも、諦めちゃいけないと思い直して、のたうちまわる。それでもやる。考え続ける。まあ、そんな感じだったのだ。やっとわかった。やっと見えてきた。まだなにも解決したわけではないが、これで前に進める。わかるときはそんなものだ。

俺は負けない

人生は苦難の連続だ。どんな人生でも、ひとりの人間が一生を全うすることは大変なことなのだろう。どんなに辛いことも、苦しいことも、悪意に満ちているとしか思えないようなことも、すべては自分の生き方が間違っているよ、直さなくてはいけないよ、という神の警告なのだ。神がやり直すチャンスをくださったのだと思えば、今までの自分が至らなかったところを改めて、やり直そうと解釈できる。ただ、それだけのことなのだ。自分に起きたことは必ずや自分に責任がある。だから、自分に起きたことを受け止めて、責任をもつ。逃げなければちゃんといく。俺はどんなことにも、負けない。