確実にわからせたら、少し休ませる

確実にわからせていくと、生徒さんは安心する。すると、明るくなる人もいるし、今まで我慢したものが吹き出てくるように我が儘になったり、反抗的になったりするひともいる。どちらも、理解が一段落したことのサインなのだ。だから、この妙なハイテンションや、我が儘や、反抗を抑え込まない方がよい。やる内容とペースを下げてじっくりゆっくりやっていくといい。この時期は詰め込んだ知識を整理して成熟させる期間なのだ。人は知力だけでは生きられない。徳育も、体の成長も、精神的な成長も必要だ。だから、この時期は少し楽にやればいい。今までにやってきた内容を本当の理解に変えていけばいいのだ。この時期は一見入りが悪いのだか、やがてわかってきたなという手応えが出てくる。手応えが出てくると、自然とハイテンションも落ち着くし、我が儘や反抗的な態度もおさまってくる。精神的につよくなって、かつ表情が優しくなる。そして、いよいよ勢いがついてくる時がくるのだ。

安易な道などない。

安易な道などない。楽に力をつけるなんてこともない。近道も本当はない。おいしい話なんていうのもない。長いこと経験を積むとこずるい安易なことだって、やろうと思えばやれるくらいの知恵がつく。そして、こうした安易な道を使うと一瞬楽に、濡れてに泡のような錯覚に陥る。しかし、そのしばらく後、確実に転落が始まる。人間は一度でも安易な道や、卑怯な道を選ぶと、次から安易な方法を止められなくなってしまうのだ。破滅するまで止められなくなってしまう。だから、安易な道を選んで破滅までつっこむか、愚直に全うな努力を継続し続けるか、どちらかしかないのだ。だから、まず自分ができることをやる。目の前にある課題に全力で取り組む。それが、すべての基本なのだ。安易な道などないのだ。たしかに、智恵をつかって作った道はたしかにある。しかし、安易な道、近道、おいしい話、濡れてに泡のような話などない。まどわされてはいけない。騙す方が悪いんじゃない。楽な道を探してまんまと騙される方が悪いのだ。

人様のために、なんだな

自分が仕事ができる。自分が稼ぐ。自分がやっている。自分ががんばる。しかし、自分のためにだけ生きているなんて、生きている意味なんてあるだろうか。たとえ、それでうまくいっていたとしても本当にうれしいだろうか。自分が、自分が、自分が。どうして、しばらくたつと、うまくいっていても苦しくなるんだろう。もちろん、初めは自分がしっかりしなければ何も始まらない。自分を確立していくことが始まりだ。しかし、自分がしっかりと地に足をつけて歩くことが当たり前にできるようになったのならば、次は自分のためから人様のために何をしたらいいのかを中心に持っていかなくてはいけないのではないか。 自分の次には自分を越えたもの、自分を越えた何者かの為に命を賭けられる。そんな気持ちが必要なのだな。わかった。

もうだめだ!と思ってからが勝負なんだ。

もうだめた、と思ってからが勝負なんだ。なかなか進まないときもある。どう考えても答えが出ない時もある。そんなときはもうだめだと思いがちだ。でも、本当はもうダメだと思ってからが勝負なんだ。勝負事はあきらめたら終わる。これで勝ちは無くなる。負けが確定する。あきらめている人間に運なんて絶対巡っては来ないのだ。あきらめず、膿まず、たゆまず、やってきた者だけが運をたぐりよせることができるのだ。なかなかうまくいかない時は、もうダメだと思いやすい。しかし、本当はもうダメだと思ってからが勝負なんだ。ここで踏みとどまる。ここで耐え抜く。ここでやり続ける。これを不撓不屈という。

生き抜いていくだけで貴い。

これは日本だけではないかもしれないけれども、この成熟した資本主義の社会で生き抜いていくことは、生き抜いているというだけで貴い。今までよかったことがすぐに陳腐化し、価値が失われる。これでいいなと思っても、ほんの数年で状況は変わる。その流れについていけるときもある。ついていけず痛い目に会うこともある。そんな社会で生き抜いていくことは、生き抜いているというだけで貴い。だから、自分に誇りを持ってよい。

経営は日々大切に植物を育てるようなものだ。

経営は日々大切に植物を育てるようなものだ。毎日、毎日、大切に、大切に、水をやり、話しかけて、気持ちをおもんばかり、愛情をかけて育てていく。まるで植物を育てていくようなものなのだ。ほんのしばらくでも水をやらなかったり、だだくさに扱ったり、愛情をかけないと、たちまちにささくれだち、雑草だらけの荒野になってしまう。経営は日々大切に植物を育てるようなものだ。大切に、自分を見失わず、ひとりひとりに話しかけながら、話に耳を傾けながら、愛情という水をやり続ける。これが経営なんだ。

辛いことを楽しくするのですよ。

仕事は楽しい。僕自身、仕事は楽しいからやれる。続く。でも、その楽しさは温泉に行って中居さんに何から何までやってもらうという楽しいではない。仕事は辛いもの。辛いから代わりにやってもらいたい、と顧客が来る。その辛いことを代わりに請け負うのが仕事なのだから、辛いものなのだ。で、その本来辛いものを、修行して、頭を使って、知恵を出して、少しでも短い時間で、ぱーんと、片付けて解決していく。顧客をこの人たちすごい!って喜んでもらって代金をいただいて、ご飯を食べていく。そこに楽しみや喜びを見つける。だから、仕事は楽しい。辛さや苦しみを、楽しみに代えているのですよ。それが仕事をするということです。

いいことに、感謝しない。悪いときに、人のせいにするとね。

いいことに、感謝しない。すると、人は傲慢になる。俺がやった、俺がすごいから、俺がえらい。ひとの心は離れていく。うまくいってるから群がってくるだけになる。不満なんだけと仕方なく集まる。
そして、わるくなる。わるくなると、人のせいにする。あいつがわるいんだ、俺はやっている。世の中がわるいんだ、俺は間違ってない。不景気がわるいんだ、俺に非はない。
本当は、本当は、自分の身に起こったことは、全て自分に責任がある。それがたとえ天災でも。世界の遥か彼方で起きたことでも。
だから、人を責めてもなんにもならない。自分の至らないところを改める。さっさと改める。勇気を持ってね。自分の非を認めるには勇気がいる。勇気を出して、ここがいけなかったな、だから、直そう。これでことは逆転できる。自分の心の奥底にいる、もう一人の自分がほめてくれる。ぐっすり眠れる。明日からまた頑張れる。
自分の人生におきたことは、全て自分に責任がある。それがたとえ天災でも。その責任から逃げると、必ず追ってくる。逃げることはできない。なら、逃げずに非は認めて、さっさと改める。そっちの方がずっと楽に生きられる。