成功したってさ、苦しいだけなら、つまらないよ。

成功したってさ、苦しいだけなら、つまらないよ。
成功なんてね、したら最後次々と難題が課されるようになる。
その課題に応えることに悩み、苦しみ、耐えきれなくなるときがある。
もう、えんえんと続くからね。疲れはてていてもやってくるからね。
でも、成功したからって、誰も誉めてはくれない。むしろ、妬まれる。
それでもね、この重圧に負けたらいけないんだな。この次々とやってくる無理難題に押し潰されたらいけないんだな。
自分に使命が課されたんだから、わざわざ神がお与えくださったのだから、有り難く頂戴するのね。
もう、何が来たっていいのよ。何だっていい。たとえ、どんなに疲れはてていても、艱難辛苦はやって来るのよ。
これはまた、神様から宿題が出されたのだな、神が俺に期待してくれているのだな、とね、思ってね、また、頑張るのだよ。
さあ、何が来ても大丈夫だよ。
また、歩き出そう。

苦しみを楽しみに変えてしまうのだ。

人生は苦しみだ。苦しみの連続だ。しかし、その苦しみを楽しみに変えてしまうのだ。苦しい!をチャンスと考えるのだ。もう駄目だ!をギリギリで持ちこたえていて、えらい!と考えるのだ。解釈を変えるのだ。見方を変えると、苦しみも楽しみになる。仕事は楽しい、とか、受験勉強が楽しい、というのはそういう意味なのだ。ディズニーランドで楽しいのとは全く異なるものなのだ。勘違いしないようにしよう。

生きている

生きている、それだけで幸福なのだ。
人間に生まれた、それだけで幸福なのだ。
屋根のある家で過ごす、それだけで幸福なのだ。
あたたかい布団で寝られる、それだけで幸福なのだ。
毎日食べるものがある、それだけで幸福なのだ。
家族がいる、それだけで幸福なのだ。
家族が元気でいる、それだけで幸福なのだ。
仕事がある、それだけで幸福なのだ。
喜んでくれるお客さんがいる、それだけで幸福なのだ。
共に働く仲間がいる、それだけで幸福なのだ。
一日の終わりにお酒が飲める、それだけで幸福なのだ。
俺は何て幸福なんだろう。

清く、正しく、強く

いつも、心を[清く、正しく、強く]持つこと。世の中は悲惨な運命に溢れている。そして、その悲惨な運命は弱い、不正な人間を絶えず、狙っている。だからこそ、心を[清く、正しく、強く]保つのだ。すると、勢いが出てきて、明るく楽しく生きられる。悲惨を吹き飛ばせるようになる。

幸運は自分で呼び寄せる

幸運は自分で呼び寄せる。人に頼ったり、神にすがっても、訪れない。今、自分にやれることを、精一杯やっていく。この一日一日の、一瞬一瞬の積み重ねが、幸運を引き寄せるのだ。今の努力を忘れてはいけない。自分の力で、やり抜くと、ふっと訪れる。それが幸運だ。

芽が出た。

ようやく芽が出た。今まで砂漠に水をやるようだった。水をあげてもあげても、吸い込むだけだった。来る日も、来る日も。それが、栄養を含んだ土になり、そして、芽が出た。よかった。よかった。

孤独

人間は孤独である。自分のことは自分にしかわからない。誰も自分の代わりに生きることはできない。だから、自分を大切にして、自分をいたわり、自分を理解してあげること。自分のことは自分にしかできないのだから。

成功し続けることの苦しみ

成功し続けることの苦しみに負けてはいけない。
成功し続けることの苦しみに押し潰されてはいけない。
では、成功し続けることの苦しみに負けないためにどうすればいいのか?
成功し続けることの苦しみに押し潰されないようにするにはどうすればいいのか?
成功するための本はたくさんある。
成功するためのセミナーもたくさんある。
成功して、成功してからが本当のスタートなのに
成功してから生ずる苦しみについての本はない。
セミナーもない。
だから、孤独に一人で考え続ける。
まあ、基本は誰も教えてくれないと覚悟すること。
一人でやるしかないと、腹を括ること。
誰かに頼る、誰かにすがる、何かに溺れる
この選択はしない。
孤高に生きるんだ。

不断の努力がないとすぐに崩れるもの。

傲ったり、高ぶったり、自分が偉くなったように思い上がっていると、あっという間に、今まで築いてきたものは崩れ去ってしまうものだ。だから、うまくいってくると、そういう傲慢な気持ちとか、楽をしたいとこ、この死ぬくらいきつい努力を続けることに疲れるとか、そんな風な気持ちと折り合いをつけていかねばならない。いい空気を保ち続けるには不断の努力がいる。