どんなに理不尽なことでも、意味がある。その人にとっては何かを学ぶための意味があるのだ。だから、すべてを受け入れて誠実にやっていこう。かならず道が開けるときがくる。
休息
人間には休息が必要だ。戦い疲れはてた後は、特に。
もうだめだ!と思ってからが勝負なんだな。
もう、これ以上頑張れない、もう、これ以上やってもダメだ、と思ってからが本当の勝負なのだ。そこで一気に抜け出ることがある。限界を越えると、能力そのものも変わるのだ。
苦しいのはほんの一瞬だよ。
人にはこれはまずい、これは大変だ、という困難な時がある。そのときは辛いものだ。気持ちが揺らがないではいられないし、平常心を保つのもかなりのエネルギーがいる。だけれども、頭を使って、知恵を出して、誠実に、ひとつひとつ困難を解決していけば、どこかで山を越えることができる。苦しいのはほんの一瞬なのだ。だから、本当に苦しいとき、この苦しみは逃げなければ一瞬で終わる、永遠に続くわけではないと、言い聞かせると気持ちも落ち着いて、冷静に行動できる。
何が起きたって構わないじゃないか。
人生は何が起こるかわからない。何が起こるかわからないのだから、何が起きたって構わないじゃないか。起きたら起きたでその時に立ち向かえばいいじゃないか。逃げないで、挑めばいいじゃないか。人のせいにしないで、自分で乗りきればいいじゃないか。お前の前に起こるすべてのことは神がお前にくださった課題であり、試練なのだ。必ず、神はお前のそばでお前を見守ってくれている。たとえ、どんな辛い目に会っても、どんなに悪意に満ちた事が起ころうとも、それらは神がお前に与えた試練なのだ。必ず、神はお前を見守ってくれている。だから、何が起きたって構わないのだ。何も恐れることはないのだ。
人には徹底して親切にする。でも、何も求めない。
人には徹底して親切にする。でも、何も求めないことだ。見返りを期待した親切なんて、卑しい。そもそも、親切な人は親切にして、相手が喜んでくれればそれだけで嬉しいし、満足なのだ。それなのに、あの人にはあれだけしてやった、とか、こんなにしてやったのに、とか言うのは本当の親切ではない。人のために何かやる人は、実は次から次へといろんな人に親切にするから、いちいち覚えてないことが多い。この前のお礼です、って言われても何のお礼かわからないのだ。私の感覚からすると100親切にして、1帰ってくる。だいたいそんなものです。でも、それだけでうれしいですね。
耐えに耐えに耐えろ
耐えに耐えに耐えろ
耐えに耐えに耐えろ
何が起ころうと
どんな理不尽なことがあっても
延々と憂いことが続いても
耐えに耐えに耐えろ
耐えに耐えに耐えろ
試練は乗り越えるためにあるのだから
静かに目をつぶって心を落ち着かせる
静かに目をつぶって心を落ち着かせる。
川の水の流れる音だけが聞こえる。
心の中にあった片付けものが一瞬で消える。
頭の中にあった考え事も無くなってしまった。
風がすぅーっと近寄って通り過ぎる。
私の心に平和が訪れる。
充実して満ち足りた穏やかな気持ち。
ほんとにたまにだけれど。
こんな気持ちになれる。
静かで落ち着いた
いい時間だ。
よくここまできた。
よくここまできた。辛いのは一瞬だ。長いようだけれど。よくやった。よくやった。
矢が来ても、鉄砲が来ても、何が来てもいい。
腹が据わると、気持ちがいい。なぜはら、矢が来ても、鉄砲が来ても、何が来てもいい、という気持ちになれるからだ。そこまで気持ちが固まると怖いものはなくなる。何が来ても、乗り越えていくことができる。ただ、何でもこい、という気持ちになるにはコツがいる。耐えず言葉に注意して、愚痴とか不満とか、泣き言のような否定的な言葉を決して吐かないこと。