お前は結局はやる。
お前は結局はやれてしまうのだ。
はじめは何が問題なのかわからない。
ただ漠然とした不安とか焦りがくる。
だんだんとその不安と焦りが大きくなる。
どんなにうまくいっていてもだめなのだ。
不安と焦りはどこからくるのか、何なのか。
どうすればこの納得のいかない自分を納得させることができるのか。
結局取り組むまで、ついてまわる。
決して逃れることはできない。
ようやく観念する。
執着して、執着して、執着して
執着して、執着して、執着して
執着して、執着して、執着して
もうだめだと何度も思いながら
もういやだと何度も落ち込みながら、
結局はあきらめず、またやる。
結局はやる。
結局はやれてしまう。
俺の人生はこのくりかえしに過ぎない。
ありがとう。
逃げなければ、
やがて、ぐっすり眠れる日が来ることを
思い出させてもらえた。
よかった。
これでよかったんだな。
ありがとう。おやすみなさい。
苦しみは一瞬だよ。
どんな苦しみも一瞬で終わりがくる。
たしかに苦しみの中にいるときは、とても長く感じるし
苦しみがずっと続くように感じる。
でも、それは違う。
苦しみは永遠には続かない。
自分が課題に正面から向かっていけは
自分が課題に勇気を以って見つめれば
自分が課題に誠実に取り組み続ければ
苦しみは消えて行く
苦しみは一瞬だ。
決して永遠には続かないとわかる日もくる。
怒らない
不愉快なことがあっても、怒らない。自分に至らない所が無かったか、分析して正せばいい。あとは相手の問題だ。
トラブルがあっても、怒る必要はない。相手に事実を指摘すれば、それで殆どは解決する。相手を怒鳴ったり、非難しても解決はできる。だが、その失敗した人を責めなくても解決できるものなら、怒る必要はない。自分も怒ることで心が破壊されるし、相手も怒られることで不愉快になる。誰でも失敗はあるから、むしろ、指摘だけしてあげたほうが人ははやく覚えてくれる。
悲しまない
辛いことや、苦しいこと、悲しいことがあっても、心は悲しまない。もちろん悲しいときは、悲しいのだが、自分そのものを否定してはいけないのだ。悲しいことが起きたとしても、必ず意味がある。意味を理解して前に一歩、また一歩と進むのだ。やることはたくさんあるのだから。
おそれないこと
明日のことをおそれない。ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、とおそれない。おそれる気持ちが出てきたら、何をおそれているのか、よく見つめてみよう、やるべきことがみつかる。やるべきことがわかったら、やる。それだけでおそれる気持ちは消える。絶えず、それをやる。やり続ける。これが生きるということ。
今あるものに感謝すること
今あるものを数えてみる。結構ある。今あるもので、今が成り立っているのだ。だから、今あるものにありがとう、と。感謝しよう。ないものを見つめて、ない、ない、と苦しむのは愚かなことだよ。
意思の疎通
人との関係は、意思の疎通がなくなってしまうと
直ぐに悪くなる。お互いが信じられなくなっていく。
しかし、その悪化の原因はほんの些細なことが多い。
些細なことに腹を立て、その場で解決すれば互いの
気持ちを確認して、譲り合えたものを、その怒りを
腹に貯めたまま、忙しく時が過ぎていく。人間は怒りを
腹に貯めたまま上手に相手と共に良好な関係をもつことは
できない。どこかで相手のことを否定的にみるようになってしまう。
小さな誤解が、怒りを生み、増大し、歩みよる気力さえも奪っていく。
だから、意思の疎通が大切だ。普段からちょっとしたすれ違い
を修正して、お互いが気持ちよく暮らせるようにするのだ。
自分を好きになる
自分を好きになろう。自分のいいところ、自分のわるいところ、含めて自分を好きになろう。自分を好きになると、他人を愛せるようになる。逆にいうと、自分を愛せない人は回りの人も愛せない。自分を愛するためには、自分を許すこと、それが大切だ。
今がすべて
今を、今やれることを、精一杯やる。それだけでいい。毎日、一刻一刻、おきることに、最も適切な手を打っていく。そんな時を積み重ねていく。それが生きる。よく生きるということだ。
自分が誠実なら、あとは、相手の問題
自分が誠実なら、あとは、相手の問題だ。まずは、自分ができるだけのことをやる。誠実に。自分が悔いのないようにやれば、それを評価するのは相手になる。相手が自分のしたことをどのように評価しても構わないのだ。感謝してもらえればそれでいい。だが、評価してもらえない、むしろ、否定されたとしても、それは相手の問題なのだ。自分が精一杯、誠実に、責任を果たしているならば。