何のために生きるのか

僕は何のために生きているのか。このこたえを探しながら生きてきた。何のために生きているのか。ずっと、自分がしっかりやれるようになることだと思っていた。自分が社会の中で成功できればそれでいいと。人様より多くのお金が稼げればいいと。でも、そんな自分という箱がきれいでも、その美しさを見て満足してたって、だんだん、だんだん自分の心の宇宙が腐ってくるんだ。人は自分のためだけに生きていたら、それは何の価値もない人生であると断言していい。自分がそれなりに確立できたなら、もう、次に行く。どれだけ多くの人を幸せにして、共に喜べるか。それが答えなんだ、

勇気をもらうときもある。

自分で言うのもなんだけど
僕は様々な人達に勇気を与えてきた
僕と関わった様々な人達に
たくさんの勇気を与えてきた。
でも、
そんな僕も
疲れはて、力が抜けてしまった
時があった
たった今まで
力が抜けてしまっていた
だけれども、
だけれども、
だけれども!
僕が勇気をあげてきた人が
人達が
こんなにも
立派に成長して
蛹から蝶になると
それだけで
もう、
じゅうぶんの
勇気が
僕に
この僕に
疲れはてたこの僕に
与えられている
勇気を与えてきて
損だと思ったことは
一度もない
でも、
帰ってくるときもあるんだな
こんなにも疲れはてた僕を
生き返らせるだけに
じゅうぶんな
勇気を
いつか
帰ってくるときもあるんだな
返してくれなんて
思ったことは
一度もないけれど
帰ってくる。
今の僕には、
とても大切な、
お返し

守る

家族を守る。
スタッフを守る。
顧客を守る。
何か予期せぬことがあったとき、
家族を守る覚悟を持つこと。
スタッフを守る覚悟を持つこと。
顧客を守る覚悟を持つこと。
覚悟。
覚悟。
覚悟。
家族を持つということは、
家族を守る覚悟がいる。
スタッフを抱えるということは、
スタッフを守る覚悟がいる。
顧客を持つということは、
顧客を持つ覚悟がいる。
いつも覚悟を持って、
生きていこう。

花が咲く

何年も、何年もかけて、花が咲いた。何にも前に進んでないように見えた日々もあったのに、花が咲いた。なかなか咲かなかったけれども、咲いた。簡単に手に入る花よりも、なかなか手に入らない花の方が手に入ったときの喜びが大きい。なかなか咲かない花が咲いたときの方が喜びが大きい。今日、そんなことがわかった。

うまくいっているときは修正がきかない

うまくいっているときは修正がきかなくなる。うまくいってるのだからいい。うまくいっているから変わらなくていい。うまくいっているから、これではいけないとわかっているのに自制がきかなくなる。うまくいっているときは、特に膿がたまりやすいのだ。ただ、だからといって修正がきかなかったことを悔やむ必要はない。すみやかに修正すれはいいだけのことだ。落ち込む必要もない。気持ちを切り換えて、直すところを直して、正すものは正して、改めるところは改める。これですっきりする。

やっとわかった。

やっとわかった。長い間、ずっと、考えて、考えて。ある時は放っておいて、また、考えて。だめかなと思ったり、それでも、諦めちゃいけないと思い直して、のたうちまわる。それでもやる。考え続ける。まあ、そんな感じだったのだ。やっとわかった。やっと見えてきた。まだなにも解決したわけではないが、これで前に進める。わかるときはそんなものだ。

俺は負けない

人生は苦難の連続だ。どんな人生でも、ひとりの人間が一生を全うすることは大変なことなのだろう。どんなに辛いことも、苦しいことも、悪意に満ちているとしか思えないようなことも、すべては自分の生き方が間違っているよ、直さなくてはいけないよ、という神の警告なのだ。神がやり直すチャンスをくださったのだと思えば、今までの自分が至らなかったところを改めて、やり直そうと解釈できる。ただ、それだけのことなのだ。自分に起きたことは必ずや自分に責任がある。だから、自分に起きたことを受け止めて、責任をもつ。逃げなければちゃんといく。俺はどんなことにも、負けない。

理屈ではない、直感で理解できること。

心の鍛練が進んでいくと、直感で物がわかるようになる。右にいくのがいいのか、左にいくのがいいのか、前に進むか、後ろに退くか、ピンとわかるようになる。理屈や理論も、もちろん大切だ。理屈も大事だけれども、理屈で物事が解決できることは実はそんなに多くはない。すべてを理屈や理論で解決しようとするとうまくいかないのはそのためだ。そういうときは直感が大切なのだ。ただ、直感はきれいでまっすぐな心を持っていないと出てこないのだ。

心の雑草は絶えず刈り取る

たとえ考え方や感覚が前向きで、積極的になって、生活や仕事、家庭が充実したとしても、その心の状態を維持するためには心のメンテナンスを継続していくことが必要だ。物事がうまくまわり始めると、知らず知らずのうちに忙しくなり、自分をいたわったり、振り返ったりしなくなってしまう。この社会の中で一日精一杯生きていれば自分ではわからなくても心には雑草が生えてくるものなのだ。忙しいとついつい心の雑草を放置してしまう。うまくまわりすぎてるときほど、心の雑草は放置されやすい。体だけではない、心だって疲れたままにしておくと、あっと言う間に雑草でおおわれて本当の自分を見失ってしまう。だから、忙しいときほど、心の扱いに注意しよう。

外側の情報をしっかりと吟味する。2

外側の情報を心が受け入れてよいものか悪いものかを吟味するようになると、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、いわゆるマスコミの流す情報がいかに否定的なものが多いかわかるだろう。基本マスコミの発信する情報は批判、抗議、悲観の視点で作られている。そうしないとテレビなら見てもらえないし、ラジオなら聞いてもらえない。新聞も雑誌も売れないからだ。ただで得られる情報はそれなりのものでしかない。新聞も一ヶ月五千円、一日あたり百数十円だ。かなりの意図的な操作がなされている。情報を鵜呑みにしてはいけない。情報の裏にある本当のことを読み抜く力が必要なのだ。