心をいつもすみきった状態に整えていくには、日常生活する際に外側から受け取る情報をしっかりと吟味することだ。不平、不満、愚痴、泣き言、人の不幸を喜んだり、人の足を引っ張る妬み、人間の汚ない心が生み出した情報を決して受け取らないことが必要だ。人の不幸は蜜の味などという言葉は全くの嘘である。それは麻薬のようなもので着実に心を蝕んでくれる。そして考え方や感じ方も、何があっても何が起こっても苦しい、めんどくさい、辛い、損だ、やっても無理だという否定的なものになってしまうのだ。人は口に入れる食べ物はこれを食べたら栄養があるかないか、体にいいか悪いかを吟味する。しかし、心の中にいれる情報についてはこれを受け入れてよいか悪いか、受け入れて心に栄養になるか、毒になるかは全く考えない。心が不満や、妬み、恨みの毒で満たされてしまう情報を無制限に受け入れてはいけない。心を、魂を汚すだけだ。心が希望を持てる、勇気が出る、明るい気持ちになれる情報を受けとるのだ。これからは情報について受け入れてよいものか悪いものか吟味して受け取ろう。
血と汗と涙と苦しみ
成功は血と、汗と、涙と、苦しみの染み込んだ地の上に成り立つ。苦しんで、苦しんで、苦しんで手にすることができるのだ。乗り越えるためには血と汗と涙と苦しみという代償がいる。そういうものなのだ。だから、ここで逃げてはいけない。心を強く持ち、どんな問題にも動ぜず、しっかり立ち向かう。心がしっかりしていればどんな困難も堂々と戦うことができる。
縮むことも大切なことだ。
成長して伸びていくことは大切なことだ。基本ができて、その上で伸びていく。努力が実って成長していくのはとても楽しい。だが、基礎以上に成長してしまうと、背伸びをして、無理に成長していかなくてはならなくなる。無理が出てきたら、いったん縮むことだ。土台を見つめ直して、広く、大きく、土台をつくりなおす。背伸びをしなくても、無理を重ねなくても成長できるように。伸びて、伸びて、伸びきってしまったら、縮む。恥ずかしがらずに縮む。縮んだほうが飛躍は大きい。
基本は忍耐だ。
何かを成し遂げようと思ったら、まず、基本は忍耐だ。ひたすら耐えるのだ。耐え忍ぶのだ。耐え忍んで、耐え忍んで、一歩も前に進まない時でも耐え忍ぶのだ。来る日も来る日も耐えて耐えて耐えるのだ。そうすると、必ずじりっ。じりっと前に進み、やがて勢いがつくときがくる。そのときに畳み掛ければいい。それで一気にことが進む。大抵のことは堪え忍ぶことで解決できる。しっかりと心を鍛練しよう。
価値観は修正できる
自分にとっては望ましくない価値観を腹に抱えながら生きていくことは苦しいものだ。本人は仕方がないと諦めている場合もあるし、何の疑問も持ってない人もいる。しかしもしも、あなたが自分の価値観を変えたいと思ったらそれは決して不可能なことではない。必ず変えていくことができる。時間はある程度かかる。でも、できるのだ。いつも諦めてしまう、いつも不満に思う、いつも腹が立つ、えいつも世の中を斜にみる、そういった価値観で生きていると、日日の生活でも後ろ向きで不平や不満で心のなかがすさんでしまう。それは自分で自分の心を傷つけながら生きるようなものだ。しかし、だからといって長年の間に染み付いてしまった価値観を簡単には変えることなどできない。大抵の人は無理だと諦めてしまう。でも、価値観を変えることはできるのた。簡単にできるのだ。では、どうすれば変えることができるのか?まずは、変えることができる、自分の嫌な価値観を変える、と決めることだ。決めると変えることができるのだ。まずは変えると決める。それがスタートだ。
心を鍛練する
人の生き方や感じ方は、親や先生、まわりにいた人から得た価値観に大きく影響を受ける。その影響力は自分にとっていいものもあれば、望ましくないものもある。どうしても望ましくない価値観を受け入れたために、学校でうまくいかなかったり、仕事がなかなか合わなかったりすることがある。だが、それはいたしかたないことだ。だからといって、自分がこうなったのは親のせいだ、とか教師が悪い、社会が悪いと人のせいにしても何も解決にはならない。むしろ、原因を外に求めれば求めるほど、社会で適応できなくなってしまう。いっそ、ものごごろがついたら人様からもらった価値観を選んで、いいものは自己のものとして吸収し、望ましくないものは修正してよりよい価値観に植え替えていけばよい。時間がかかってもいい。必ず生き方が軽くなって、生きやすくなる、必ず修正できると信じてゆっくりやってみることだ。
誠実な道と卑怯な道があったら誠実な道を選ぶ。
誠実な道と卑怯な道があったら誠実な道を選ぶ。時々、本当はまっとうでない、正当でないのだが、みんながやっているからとか、時流にあっているからという理由で卑怯な道を選んでしまうときがある。だが、時流にあっていても、みんながやっていても、卑怯な道を選んではいけない。時間がかかったとしても、いばらの道を歩くことになったとしても、誠実な道を選ぶ。迷ったら、苦しい方を選ぶのだ。正しい道を選ぶのだ。自己の良心に悖ることはやらないことなのだ。
いつでもあなたには二つの道が用意されています。
いつでもあなたには二つの道が用意されています。どんな状況にあろうと、どんな環境に生まれようと、どんな能力を神がお与えになろうと、あなたには二つの道が用意され、二つの道のうちのどちらを選ぶか、あなたの自由に委ねられています。人生は考え、決断し、行動することで成り立っています。朝起きてさっさと顔を洗うか、テレビをつけるか、朝御飯を食べていくか、食べていかないかといったようなことから、前進するか、後退するか、挑むのか、逃げるのか、正しい道を選ぶか、誤った道を選ぶか、誠実に対応するか、卑怯な手を使うか、どちらでも選ぶことができるのです。あなたはどちらを選んでもいいのです。そして、誠実な道を選ぶ人は耐えず誠実な道を選び、やがて誠実な人間に囲まれて生活し、誠実な顔になるのです。卑怯な道を選ぶ人は卑怯な道を選びやすくなり、卑怯な人間になりやすくなります。どちらを選ぶかはその人の自由な意志に依るのです。あなたの人生で起きていることはあなたの意志にもとずいておきているのです。
しっかりとためをつくる
今から、しっかりとためをつくる。土台の無いところに家は建てられないから。
ゆったりした時間
ゆったりした時間が流れるようになった。緊迫した、さらに緊迫した時間からゆったりした時間に変わった。陽射しがやわらかい。春の太陽だ。やっとゆっくりと歩くことができる。うれしいな。一年間頑張って、頑張って、粘って、粘ってよかったな。体の疲れはやがては癒える。心もなめらかになっていくだろう。この時期のこのやわらかな気持ちは、この仕事をやった者にだけ与えられているのかな。とても、気持ちがいい。