やれることはやった。教えることは教えた。できるようになるところはできるようにした。くりかえしやるところはくりかえしやった。理解したものをどう出していくか、アウトプットの仕方も十分にやった。あとは、あなたが根性をつけること。それだけだ。最後はあなた自身なんだ。誰もあなたの代わりにはなれないのだ。あなたが勇気を持って、戦い抜くこと。それだけなんだ。
愛がすべて
愛がすべてを決める。私利私欲ではない。愛ですべてが決まる。迷ったとき、辛いとき、苦しいとき、何をもとに考えるのか。利害とか、体裁とか、見栄とかは捨てる。愛で決める。それでうまくいく。
今までやってきて本当によかった
あきらめないで、やっていくと、いや、そんな一言ではだめだ。うまく言い表せない。何度も、何度も、挑み続けて、その都度だめで、だめでも、何度も、何度もやり続けていく。その間、ぐらぐらっとなること数えきれず。何度やっても、何度やっても、だめで。でも、まだやり続けて、やり続けて、捕まえようとする。途中で、できっこないとあきらめてる自分を発見して、その自分に理由があるとわかる。でも、あきらめている自分はなかなかなくならない、だめで、だめで、何回やってもまただめだと、どこかあきらめながらやる自分がいる。それでもやる。何度も、何度もやる。少しずつだけれども、あきらめる自分が減る、少なくなる、出てこなくなる、出てきても消せるようになる、できるんだ、って思える自分の方が強くなる。それでも、まだだめで、何度やっても、何度やってもだめで、でも、あきらめている自分はなかなか出てこなくなる、やれる、かならず、道ができる、すーっといく姿が見えるようになる、それでも、だめでも、はっきりとやれそうだと、思えるようになる。そうなると、もう、やれるんだ。
トンネル
トンネルは暗い
トンネルは先が見えない
トンネルは不安になる
トンネルは怖い
トンネルは慣れる
トンネルは真っ暗ではない
トンネルは少しずつ見える
トンネルは真っ直ぐ
トンネルは前に進める
トンネルは出口がある
トンネルは出口が見える直前が
トンネルは最も暗い
トンネルは出口が見えると
トンネルは明るくなる
トンネルは走りたくなる
トンネルは抜け出せる
トンネルは出るとまぶしい
温泉
温泉にきた。からだが弛緩する。からだが蘇生していく。温泉はいい。また、明日もがんばろうと思う。たった一日のお休みだけれど、遠くまできて、よかった。神様、ありがとうございます。
あなたはもう大丈夫、強くなった
実のところ本当は危ないと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思っていた。思っていたのだけれど、今回のことで、本当はあなたは強くなったんだな。自分の力で、立てるようになったんだな。僕はあなたにどうしても伝えたいことがあった。でも、簡単に伝わるものではない。一生かけて伝えなくてはならないことだ。僕にしか伝えられないこと。そして、これで伝えることができたとわかった。僕の魂でわかった。これでいい。これがわかってくれれば、これが伝えられれば、あなたはちゃんと、生きていける。たとえ、どんな苦しみが待とうと、強く、深く、そして広く、生きていける。僕はあなたにどうしても伝えたいことがあった。そして、伝えることができた。あなたの精進と、自己の実現を、心より願っている。
耐えてみせる
じっと耐えてみせる
じっと耐えてみせる
必ず耐えてみせる
あなたがわかる日がくるまで
耐えてみせる
あなたに愛がわかる時まで
人は変わることができる 必ず耐えてみせる
後から感謝されることもある
もう、何年も前の話だが、うちの先生をやってくれた人のことだ。その人は辞める時に私なりに苦しめられた。ぎりぎりの人員でやっていたのを逆手にとられる感じで、私を苦しめるのを楽しんでいるように見えた。私は、長いこと働いてもらったし、世話になったことは間違いないし、働いてくれる人がよく私に心当たりのない敵意を持つことは何度か経験していたので、できる限りのことはやった。明らかに私を苦しめるのを目的とした要求も最後はずっと飲み続けた。そうやって、荒立てず辞める日を迎えた。最後までよく耐えて、円満に辞めてもらえた。私はその時にもう、二度とその人と会わないですむと思って晴れ晴れしたした気持ちになった。そのあとも、その人の話になると、話には加わりたくなくて、聞いてるだけにしたり、時には、その人の話しはしたくないことを率直にスタッフに伝えたりした。しばらくしてからのことだ。もう、その人のこともすっかり忘れていた。ふとその人のはなしになった。そして、いつものように私はもう、その人には苦しめられたからいいや、と言ったときスタッフがにっこりと笑って言ったのだ。でも塾長、前に会ったとき、今から考えると、私はあの人にずっと守られていたんだということがわかる、とても、私のことを考えてくれていたと言ってましたよと。私はその時に、そうか、あとになってわかってもらえることもあるのかと、その人には辞めて以来一度も会っていない。私は結局うらんでいるのかとばかり思っていた。でも、桜葉塾を辞めて、他の仕事を経験していくなかで、私への敵意もとれたのかな、私がかけた愛情も無駄ではなかったなだなとわかると無性にうれしくなったのだ。
もうだめだ!と思ってからが勝負なんだな。
もうだめだ、というときがある。今までやってきた努力を放棄したくなるときがある。何度やっても、ダメなときがある。でもね、もうだめだ、っていうときがあきらめるか、それとも、飛躍するかの分かれ目なんだな。よく、冷静に分析すると、もうだめだ、って思うときには、それなりに力はついている時期に思うものなんだ。いろいろなことができてきて、わかってくる。わかってきたのにまだ、ゴールが遠くに見えるような気になるから、もうだめだ、って思うんだ。実は、本当は、あと一歩のところにいるということなんだ。もう少し、努力を続けよう。もう少し、やってみよう。
傷だらけになっても
傷だらけになってもいい。やれることをやり続ける。難題がいくつも、いくつもやってきても、ひるまず、その時にできる、より良いことをやり続ける。困難が続けば傷だらけになる。どんなに冷静に、最善の手を尽くしても、心は傷だらけになる。しかし、それでも、いい。傷だらけになっても、冷静に、やれることをやり続ける。それだけなんだ。それだけでいいんだ。