最後の休息

これが最後の休息だ。実際には週に一日は休みがあるのだが、これで当分は臨戦態勢になる。顧客を聞き、顧客を知り、顧客を思い、顧客のためにできうる限りのことをやる。ぎりぎりまで粘る。ぎりぎりまで誠実に教える。支える。これが私の仕事なんだ。

始めからできるわけではない。

生徒のために体を張って人生をわからせる。これが本当のプロの塾講師だ。だが、始めからできるわけではない。まずは、教える技術があってこそのスキルだ。教える技術、何度も繰り返す技術、感情をキープする技術、それらの技術が備わった上でのスキルなのだ。だから、ある程度のキャリアがあることが前提の技だ。教えかたがうまいけれど、何かが、この先生には足りないな、と思われるときがある。その時に乗り越えなければならないスキルなのだ。ここを越えると本当のプロの塾講師と言えるだろう。

プロは生徒さんに足りないものを見つけて引き出すことができる。

本当のプロは生徒さんに足りないものを見つけて引き出すことができる。どんなにきちんと教えていても、どんなにカリキュラムをしっかりつくっても、それだけで結果が出ないときがある。ここまでやって結果が出ないときは、生徒に何かが欠けているのだ。だから、その生徒さんに何が欠けているのかを見抜いて、欠けているものを引き出すのだ。本番に弱い生徒なら、普段どことなく真剣さが足りないことがほとんどだ。だから、是が非でも普段に真剣にやらせることができなければならない。力があるのにひねられるとわからなくなる生徒さんなら、きちんと問題を読む勇気が欠けているのだ。だから、絶対にきちんと条件を把握して、自分の力で問題を読み抜くという気概をその生徒さんに生まれさせなければならない。そのためには、プロの講師が体を張って生徒にわからせることができることが必要なのだ。優しいだけでは本当のプロではない。生徒のために体を張って人生に必要なことをわからせることが必要なのだ。

人生は自分の考えた通りになっていく。

人生は自分の考えた通りになっていく。自分の人生は自分の考えたものになる。自分はやれる、成功できる、人様のお役に立てるようになる、と思っていれば、その通りやれるし、成功できるし、人様のお役に立てるようになる。逆に、自分はダメな人間だ、結局何もできないと思っていれば、その通りダメな人間になるし、何もできないで人生を終える。こんなふうになってしまったのも親のせいだ、社会のせいだ、教師のせいだ、政治のせいだと他人のせいにしても、人のせいにしていれば、その人が考えている通り、自分は何の努力も、行動もしない、他人を責めるだけの人間になるのだ。人生は自分の考えた通りになっていく。だから、いいことだけを頭に、そして、心に思い描くのだ。

疲れた時は休め

疲れた時はからだを休めよう。なにもしなくていい。ゆっくりお風呂に入って、ご飯を食べて、暖かい布団で眠る。なにもしなくていい。それだけでいい。なにもしない時間をもつのだ。

こんなことがたまにはあるんだな

私には、心の奥底に真っ暗い闇のろうな、膿のようなものがあり、その闇や膿が何をやるにしても私の行動に暗い色を付けてくれた。この暗い闇や膿が、私を走らせ、時には慎重にし、エネルギーだった。だが、闇や膿をモチベーションの基にしてしまっていると、出発点が苦しみや辛さ、心の歪んだ部分になってしまうので、常に苦しんでいなくてはならない。いつもいつも長く、辛く、苦しくなってしまう。これでは、やっても、やっても、走っても、走っても辛く苦しくなってしまう。このまま耐えるだけでいいんだ、苦しみに耐える、耐えに耐えに耐えることが人生だと、思っていた。しかし違うんだ。心の中にある考えの基を明るく、暖かなものに変えれば、辛くも、苦しくもない、むしろ、明るくて、暖かく、落ち着いてやっていけるのだ。何も苦しまなくてもいい。辛くする必要もないのだ。こんなことが突然わかるなんて。こんなことがたまにはあるんだな。とても穏やかな気持ちだ。この数年間の焦りや、不安や、苦しみも、今日、私がわかるためにあったのだな。よかった。

人は育てなければ育たない。

人は育てなければ育たない。背中を見せれば育つなんていうのは、育てる方の怠慢な言い訳だ。見て覚えろ、盗め、というのも同じ怠慢な言い訳だ。成熟した資本主義のルールでは、できるようになったことは、次次と教え、伝えて、下の者に任せていき、自分は更なる新たなことに、挑んでいかなくては陳腐化してしまう。人はていねいに育てれば必ず応えてくれる。そして、やる気のある始めの時に、しっかりと基礎を教え込む。すると、そのときにできなくても、ある時に掴んでくれる。月日がたつごとに成長してくれるようになる。始めに失敗すると、途中で伸び悩んでしまって、向上できない人材になってしまう。人は始めに、しっかりと基礎を教え込む方が得なのだ、

創業者

創業者は孤独だ。何もないところから火を起こさねばならない。火を起こす方法は自ら考え、手探りで、進めねばならない。環境なんて何も整ってない。お金も無ければ、物も無い。自分以外に人はいない。自分だけが資本なのだ。一人で十人分働く感覚だ。それくらいでなければ始めの創業期は離陸できない。なにもかにも自分で用意して、なにもかにも全て自分で責任を負う。すべて。誰のせいでもない。エネルギーの大半を仕事に注ぎ、家庭があれば家族に愛情を傾ける。どんなに仕事がうまくいったって、家庭がバラバラであれば、その成功は何の価値もないからだ。生きている全方位に注意を注ぐのだ。これが創業者の生き方だ。

君を愛している

君を愛している
君を愛している
僕は長い間あなたに支えてもらっていた
あなたのかわいらしさと
あなたのひかりと
あなたの強さに
僕は励まされて
生きてくることができた
君に出会ってからもう二十年以上が過ぎて
僕はようやく生まれてから抱えてきた
こころのなかの黒い黒い檻のようなものを
洗い流すことができた
昔はとうてい逃れられないと
今きれいに洗われたと思うのだ
自由
自由
自由
長い時間きれいな水が僕のこころのなかに流れ続けていたんだ
ありがとう
君のお陰なんだ
僕が自由になれたのは