休日

今日は休みだ。サウナに一時間ほどいた。サウナと水風呂を繰り返す。何回かやっていると、はっきりとからだの中に張り巡らされた神経が柔らかくなって、気持ちが落ち着いて蘇生される。その瞬間がとても気持ちがいい。いつもいつも全身全霊で戦い続けることはできない。どこかで奥底から和らげる時間が必要だ。昔は、なかなかそんな気持ちになれなかった。若い頃はいつも戦えたのかもしれない。だから、休まなくてもよかったのかもしれない。だが、燃え付きやすくなってしまう。燃え尽きると、燃え尽きているのに更に火を起こし続けねばならない。だから、よく気持ちがいらいらしたり、些細なことで頭の血管が切れたりしていた、だが、こうして戦いの間でも、自分を休ませてあげると、自分を保つことができる。忍耐勝負になっても耐えに耐えに耐えることができるのだ。

勇気

生きていくには勇気が必要だ。前に踏み込むためにも勇気が必要だ。誤りを素直に認めることも、勇気がなくてはできない。自分の人生をつかむためには勇気が必要なんだ。自分の尊厳を侵そうとするものが現れたならば、勇気を持って戦わなくてはならない。別に武器などを持つわけではない。言葉という武器を使うのだ。勇気は生活の中で結構必要になる。勇気のない人はやられっぱなしになる危険を持っていることを覚悟することだ。やられっぱなしになって、平気でいられる人間なんていない。やられればやられるほど、自分の心は歪み、怒りを押さえ込みながら生きることを強いられる。自分が我慢すればいいなんてかっこうつけないほうがいい。あなたが怒りをおさえたり、心がねじ曲がることで、あなたの身の回りの大切な人を傷つけるのだ。あなたの心も歪んでしまうのだ。でも、それはあなたが勇気がないために、やられっぱなしになったことに責任があるのだ。

成長

あなたは人のせいにしなくなった。自分が直せばいいことは周りに関係なく直すことができるようになった。自分にほんの少しでも非があれば、たとえ周りにも責任があっても、それについては触れないで自分がよくなかったと、思えるようになった。これが人間として、大人としての成長なんだ。実は周りの空気を良くしようと思うと、自分がよくなかった、悪かったと認めてしまうのが最も有効なのだ。自分が非を認めてしまえば、周りもこちらこそよくなかった、こっちにこそ非があったと、互いが互いをいたわることができるようになる。自分を正した方が、周りも互いのよくなかったところを直せるようになるものなのだ。世の中のたくさんの争いや内部の亀裂、闘争は元の原因はほぼ全てが責任を擦り付け合うこと、互いに傷つけあい、強情の張り合いになることから始まり、こじれていく。人のせいにせず、自分に非があれば速やかに認めて直す。それが、周りを動かす力になる。よく成長してくれた。人は変われば変わるものなんだ。こういうことがあると、人を育てることは楽しいな、と思えるのだ。

一個ずつ、やりきればいい

問題がたくさんあって、やることが津波のようにやって来ても、結局は一個ずつ、目の前にあるものをちゃんとやりきっていく。これ以外に方法はない。人間は一度に一つのことしかできない。また、一度に一つのことしか考えることはできない。複数のことを同時に考えることは決してできないのだ。できないことをやれば、やれないのだから焦るだけだ。時間も無駄になる。だから、やることがたくさんあって、津波のように押し寄せて来ても、これをやると決めて一個ずつ、決めたことをきっちり片付けていく。一個片付くと、当たり前のことだが一個やることは減る。そして、次に決めたことを一個、きっちりやりきる。片付けていく。そうすると二個片付く。やがて、だいたいのことはやりきれてしまう。案外、やれてしまうものなのだ。

ようやく考える時間が持てる

この頃ようやく考える時間が持てるようになった。一日のやることを精一杯やる。そして、その上で考える時間をとる。大変と言えば大変だし、難しいと言えば難しい。ここのところ一日の遣ることが多すぎて考えることができなくなっていた。次から次へと目の前の仕事を片付けなければならなかった。でも、それではダメなのだ。このままでいいところはどこなのか。変えるところはどこか。先のことを考えることが必要だ。なのに、全く考えることができなくなっていた。だが、一日のやることに追われてわかったことがある。考える時間にぱっと気持ちを切り換えることができるようになったのだ。少し時間があるなと想ったら、ぱっと目の前のことは忘れる、そして、考えることができるようになった。そして、秋になって考える時間が持てるようになった。よかった、よかった。

きれいな月だな

旅も終わりだ。たった2日仕事から離れるだけでこんなにも豊かな心持ちになれるものなんだろうか。一日一日張り積めて生きてきたんだな。旅は理由なくそんな日常から心の窓を切り離すことができる。たとえ明日から過酷な戦いが待っていたとしても、ほんの2日だけ自由になるだけで再び戦えるのだ。特急列車の窓から空を見上げる。きれいな月だ。何の欠片もない満月。とてもきれいだ。ゆっくり月を眺めることも自分には最近なかったのだな。お腹から黒いものが無くなって、肩の力が抜けた。疲れを取り、明日からまた戦う気持ちをもつことができた。神様、ありがとうございます。

静かでいい夜だ

試合開始は間に合わなかったが、いい試合だった。ホテルに入る。静かでいい夜だ。都会の音がしない。心がすっきりと洗われてくる。頭が空っぽになる。一旦毎日毎日追われていたことが抜けて、空白になる。何も追ってこない。胸に手をあてて、目をつぶる。心が何物にも囚われず、煩わされず、落ち着いた、満ち足りた、幸福な気持ちになる。こんな気持ちになるのは、久しぶりだ。じわじわとこの長く辛く苦しかった半年を思い出す。自分はよく逃げずにやりきれたなと思うと、ゆっくりゆっくり喜びが込み上げてくる。そして、いつまでもいつまでもこの心持ちでいたいなと思う。ベッドから窓を眺めるときれいな夜空しか見えない。きれいな眺めだ。そんなことを考えているうちに、眠ってしまった。

広島に来れた!

とうとう一時四十分に広島に着く。球場が新しくなってからは新幹線の車窓から広島市民球場が見える。昔のナゴヤ球場のようだ。新広島駅を通過して、山を抜けると球場が右手に見えてくる。今年も帰って来ることができた。満員のお客さんだな。いよいよ、広島に着いた。改札を抜ける。もう、通路を通って市電のある方まで歩く気はない。タクシーに乗る。今日の運転手さんはあまり野球に興味はなさそうな人だ。カープファンの人だといろいろ話してくる。ここのところカープが弱いので愚痴っぽくて嫌いなのだけれど、無関心は無関心で寂しい感じもする。勝手なものだ。球場のタクシー降り場で降りる。球場までが長い。早く入りたい気持ちを抑えながら歩く。手荷物検査がある。危険なものなんて何もないよ、食べ物も飲み物も中で買うよ、と思う。チケットを切ってもらって、階段を上る。グラウンドが見える。観客席の中に入って球場全体を見渡しながら、ゆっくり階段を下りていく。ああ、今年も帰って来ることができた、こうして野球が観れる、そして、私の回りはみんなカープを応援している。故郷に帰って来ることができたのだ。私はこの球場に入る瞬間が好きなのだ。

一人旅

旅は何が起こるかわからない。さっきまで、名古屋は台風のため大混乱で、新幹線も全く動いてなかった。この新幹線が出たら、もうしばらくの間下りの新幹線は出ませんとアナウンスしていた。そのラストの新幹線だってノロノロと運転して大幅に遅れるかもしれないのに、でも、出たらいつの間にか広島に一時三十五分に着く新幹線に乗れた!空はきれいになった。もう、秋の雲だ。これなら、一回の裏か、二回表に間に合う。十分に広島カープの選手の勇姿を見ることができる。ここ何年か、ずっと弱かった。いつもこの時期に広島に行くと消化試合になる。だから、本当に自分をリセットするために広島に来る感じだった。今年は強くなった。そんなカープを見に行く。もう、ダメかなと、今年は見れないかなと思ったら、見れそうだ。何か奇跡的な感じがする。旅は非日常だ。

一人旅

夏が終わって一区切りついたら、一人で広島に行く。二ヶ月も前に野球のチケットを取った。9月16日は自分にとってとても楽しみにしていた。あいにく、台風になってしまった。この様子だと、きっと、広島に着くときは野球も終わってしまっているかもしれない。旅はそういうものだ。何が起こるかわからない。よりによって、ようやく休みをとれて、二ヶ月待った日に、台風で新幹線が動かない。でも、それでいいんだ。旅はどこだっていい。場所はどこでもいいんだ。ひたすら走って、走って、耐えて、耐えて、自分をギリギリのところで保ってきた心をリセットするために旅をするのだから。思えば、今日までこの日のために頑張れた気がする。この日までにやっとこう、この日までにこうしよう、って、やってきた気がする。旅は旅の日までが楽しいのかな。新幹線がようやっと動いた。やっと、旅が始まった。いつもは仕事で使う新幹線。仕事のことを考えながら乗る。でも、今日は違う。いつも見る景色が違うのだ。頭から膜のようなものが取れていく。田んぼが田んぼに見える!そうか、もう、収穫なんだな。毎週、毎週乗ってるのに全然気が付かなかった。さっきまで、ついてないな~、と思っていたのが、優しい気持ちになっていく。体が休みに入るのがわかる。心もくたっとしてきた。2日、休ませてもらいますね。神様、どうもありがとうございます。