能率はよくないけれど努力していく過程を認める、褒める。だんだんと的を射た努力ができるようになる過程を認める、褒める。結果が出ない時でも黙々と継続する過程を認める、褒める。勇気を出して挑戦したことそのものを認める、褒める。そんなふうに認めて、褒めるをひたすらやる。それが親の子への愛情だ。こうやって、子供は努力って大切なんだ、継続するとやり方もうまくなっていくんだ、努力だけではだめで実際に結果を出すには精神的な強さが必要なんだ、と学んでいく。
過程
過程は大切だ。ちゃんと、適切な理解を積み重ねていけば、必ずや結果として現れる。結果は適切な理解の蓄積の上になりたっている。ただ、いくら適切な過程を積み重ねていても、結果がなかなか出ない時がある。きちんと手順を踏んでいても、プレッシャーに負けてしまったり、圧力に潰されたり、勇気がなかったりして、精神的な強さがないために結果が出せないのだ。でも、慌てることはない。プレッシャーに負けない、圧力を跳ね返す、自分を信じることができるようになればいいのだ。だから、少し結果が出ないからといって、あきらめたらいけない。適切な努力を積み重ねており、自分の心の奥底に手応えがあるのならば、必ず結果は出せる。今の苦しみは、本番で結果を出すだけの精神的な強さを身に付けるためのものなんだ。必ずや自らのちからで越えていける。努力を継続するのだ。そして、壁を越えて結果を出したとき、本当の自信がえられるだろう。
体調が悪いときに仕事をするとき
疲れが蓄積していて、それでもやらなくてはならないことがある。無理をして、無理をして、それでも顧客がいる。仕事がある。そんなときはどうしても頑張ってしまう。そして、さらに疲労がたまって、とうとう体が悲鳴を挙げたときはどうすればいいか?それでも仕事が待ってくれないときはどうすればいいのか?休めばいい、と言う人もいる。しかし、代わりはいない。自分がやらねばならない。そんなときは、まず、仕事以外の時間はできるだけ体を温かくしてじっと休むこと。そして、仕事そのものをいかに神経を高ぶらせず、人知れず休み休みやることを学ぶことだ。気合いを入れるのは体が元に戻ってからでいい。力を抜き、体を休めながら働くことはできるのだ。動きながら休むのを体得するのだ。普段力を抜かずに働いていれば必ずできる。
天変地異だって人のせいにしたらいけない
天変地異だって人のせいにしたらいけない。この世に生きていれば天変地異は起こる。必ず。その必ず起こることをあの台風さえなければ、とか、あの地震さえなければ、とか悔やんでも仕方ないものだ。起きたことは受け入れる。事実から逃げてはいけない。事実を受け止めるのだ。事実はまず受け止める事で前に進むことができる。事実をそのまま受け入れることができれは次にやることも見えることがてきる。
崖っぷちにいることを楽しむ
崖っぷちにいることは、辛いことだ。落ちたらただではすまないのだから。気持ちも冷静ではいられないのが普通だ。慌ててしまうのが当たり前だ。しかし、人生は何が起こるかわからない。いつだって、どこにいたって、崖っぷちに立たされる。崖っぷちに立たされことは度々あることなのだ。普通にあることなのだから、ビクビクしていたらいけない。いつだって崖っぷちに立つ覚悟が必要だ。立たなければならないときは崖っぷちに立たねばならない。逃げれば逃げるほど危険は大きくなって返ってくる。どうせ立たなければならないのだから腹を決めて崖っぷちに立とう。
崖っぷちに立ったら、まずすることがある。慌てるんじゃない。まずは、まだ生きていることに感謝しよう。まだ、崖から落ちたわけではないのだ。生きていればチャンスはある。そして、生きていることに感謝できたら、今、ここで、現実にできる手を探すのだ。生きる可能性が少しでも上がる手を考えるんだ。今という時一点に意識を集中しよう。何も打つ手がないなんてことは諦めない限りない。必ずピンチを脱する手段なり、希望が持てるやり方がある。諦めたらすべてが終わる。だめだ。と思った時が終わるときだ。決して諦めるな。必ずできる。何かないか、何かあるはずだ、何かできることがある、と自分で自分に言い聞かせよう。打つ手はいくらでもあることに気付くはずた。いくらでも手があることに気が付けば、後はやれることをやりきる。それだけだ。こうやって何が起こるかわからない人生を生きていくのだ。
捨てる
次に行こうと思ったら、何かを捨てなくてはならない。今まで培ってきたものを捨てることは寂しさとか、自分の一部を切り捨てるような思いとかが伴うが、執着は捨てなければならない。人間が持てるものは限られている。あれもこれも手に持ったまま、新しい荷物を持つことはできないのだ。もう、次は見えてきている。ならば、執着は捨てよう。捨てるとすぐ次を手に入れることができるから。大丈夫だって。
清く、正しく、強く
平生、明るく楽しく生きるためにはどうすればいいか。それは実に簡単だ。ふだんから清く、正しく、強く生きればよい。清く、正しく、強く生きられれば心が気持ちよく生きられる。また、清く、正しく、強く生きていれば卑怯で、不正で、弱い人は寄って来ない。同じ清く、正しく、強い人か、またはそのようになりたいと思っている人が回りに自然と集まる。そうすると、明るく、楽しく生きることができる。正しい努力を継続する苦しみはある。ただ、正しい努力を継続する苦しみは気持ちのいい苦しみだ。だから、続けることができるのだ。
落ち着いたいい気持ちだ。
落ち着いたいい気持ちだ。しばらくなかったな。静かで、ゆったりした、力のぬけた、穏やかな気持ち。いつもいつも戦っていると、ふと、一段落着いたときに、こういう穏やかな気持ちになれる。喫茶店に入る。コーヒーを頼む。この喫茶店にも久しぶりに来れた。二ヶ月以上来てないんだな。何物にも囚われず、煩わされない、平和な心になれる。精一杯、仕事をした後はこういう気持ちを味わえる。しばらく、このままでいたい。神様、この私にしばしの休息をお与えくださりありがとうございます。
やれることはやった。
やれることはやった。うてる手は打った。まだまだこれからメンテナンスを続けていく必要があるが、やれることはだいたいできた。これでよい。ここからは考える時間もできる。ここまでやってきて本当によかった。やれることをやってしまえば心がとてもスッキリすることがこの半年間でわかった。悔いが無くなるのだな。これからも逃げず、受け止める。誠実にやりきる。これを続けよう。これがお前のやり方なのだから。
終わった。
長い夏の講習が終わった。いい時間だった。純粋にわからせていく時間だった。純粋にわからせていけばいいので楽しい時間だった。不思議と焦らないのだ。落ち着いて、やるべきことを、やれるだけ、やる。今年はそれだけでいい。こんな時だってあるんだな。幸福な時間だった。また、9月から頑張ろう。