夏に基本的なことをしっかりとやっておく。基本に忠実に、核となる内容をしっかり理解した上で、解き込んでいく。夏の間にやらなければいけないことは基本の仕込みなのだ。この仕込みができると本人に静かな自信ができる。根っこのところはわかっているという気持ちができるのだ。この静かな自信が最後までモチベーションを維持することができるベースになる。ここまで仕込みができれば最後の最後までやり抜けるのだ。
いやな人とは付き合わなくてもいい。
いやな人とは付き合わなくてもいい。意図的にでも、無意識にでも人を傷付けることが平気な人がいる。だが、そういった人の心を弄ぶ人には近付かないことが賢明だ。どうしても一緒にいなくてはならなかったり、話をしなくてはならないときには戦ってはならない。人を傷付けて喜ぶ人はこちらが挑発に乗ると大喜びして、あなたの何倍もの破壊力で反撃を開始する。あなたがする賢明な選択は何を言われても、そうですね、そうですね、と相づちをうつことだ。そうですね、そうですね、と言った後何もしなくていい。そっとその人から遠ざかるのだ。そうすると、相手はこの人は挑発に乗らない、自分のおもちゃにならない類いの人間だと察知してあなたには関わらなくなる。
ひとくぎりついた、きもちがらくだな。
やれることはやれた。ひとくぎりついた。一晩ねたら、からだから力がぬける。神経がくたっとなる。気も張っていたんだな。なんのわずらいもない、ちからのぬけたいい気持ちだ。これがお盆なんだな。
骨をやすめる。
戦った後は骨をやすめよう。からだも悲鳴をあげている。こころも擦りきれている。頭もうごかなくなる。疲労したら、やすまなきゃだめだ。だから、今日はゆっくりしよう。何もしなくていい。何も考えなくていい。ただただ時間を過ごすのだ。
プロになるために
プロになるための本当の試練。それは来る日も来る日も働いて働いて経験をいやというほど積み重ねていくことだ。ただ、嫌々やらない方がいい。できれば、仕事を好きになる努力をしよう。好きな仕事なら、来る日も来る日も忙しくても時間が楽しく過ぎる。経験が肯定的に積み上がっていく。苦しい苦しいと思いながら働くと、せっかく経験が積み上がってもにこやかになれない。プロになるための本当の試練は来る日も来る日も働いて働いて経験をいやというほど積み重ねていくことだ。その先に顧客から感謝されるようになったり、自信が生まれる。まあ、三年かな。がんばれ。
安定なんてない。
安定は大事だ。安定がないと人は不安になる。落ちつかなくなる。しかし、永遠の安定なんてものはない。自らが不断の努力を重ねつつ、現状を見つめ、変えるものは変え、捨てるものは捨て、守るものは徹底して守る。こうやって、戦い続けることで、ようやく安定しているのだ。言われたことだけやって、何の工夫もせず、努力を惜しんでいたら、その人には本当の安定なんて決して来ない。安定は工夫と変化に対応する努力の上に成り立つものなんだ。
初心
経営していると、売り上げや利益、資金繰りというお金にまつわることを考える。だから、少しでも油断するとお金に頭が支配されてしまう瞬間がある。経営はうまくいっている、顧客も満足してくれている、でも不安で仕方ない、そんなお金にとらわれてしまう時がある。これは経営者にとって地獄以外の何物でもない。お金は大切だ。資金が枯渇して支払えなくなったらアウトなのだから。しかし、だからといってうまくいっているときにダメになったらどうしよう、顧客がいなくなっならどうしようとビクビクしていたら失格だ。初心を忘れてはいけない。顧客を知るんだ。顧客を思うんだ。そして、顧客のためにできうる限りの最善のことをすべてやる。これが俺の初心なんだ。初心を忘れてはいけない。つまらない煩悶は削ぎ落とすのだ。ただただ顧客をおもうのだ。やれることをやり抜いたら、あとは天にお任せすればいい。それだけのことだ。
誇りをもって働けるようになるために
誇りをもって働けるようになるためには、人様にお役にたっていることが大前提だ。その上で自分が仕事を通じて顧客から必要とされている、職場から必要とされているという実感があることだ。人から必要とされるためには何が必要かと言うと、自分だからできる仕事なんだ、自分にしかできないんだという自信が持てるまで極めることだ。はじめは真似から入ればいい。そして、真似から入って自分のものにする。自分のものにしたらさらに、そこから離れて基本を押さえながらもあなた固有のやり方をつくるのだ。あなた固有のやり方を見つけるとあなたにオーラが出てくる。オーラは見える人には見えるのだ。そして、オーラのある人に人は近寄りたくなるのだ。
相手を責めない。自分の非を改めるのだ。
何かトラブルが起きたとき、相手を責めないようにしよう。たとえ相手に全面的に非があったとしても、自分にいくらかでも非がなかったか、きちんと見極めよう。そして、自分に少しでも非があったなら、すぐに改めるのだ。そうすると自分がまず成長できる。そして、相手も改めてくれるようになる。人はなかなか自分の非を認めたくはないものだ。そこで一方が非を認めてしまうと自然とこちらこそがいけなかったのだ、と言いやすくなるからだ。人のせいにしていると、まず自分が成長できないし、相手にも不愉快な気持ちを増長させてしまう。こじらせてしまうのだ。
やれることをやりきったなら、あとは相手の問題だ。
やれることをやりきった。俺にはもう何もすることはない。だから、あとは相手の問題だ。これで未だ何かあればそれは相手の方に問題があるのだ。こう思えるところまでやればいいのだ。自己の心のなかに何もわだかまりや、迷いがなくなってしまう。そして、堂々としていることができるようになる。不誠実な姿勢で開き直り、心の底でビクビクしているよりも、やれることを誠実にやりきってしまった方がずっと気が楽だ。スッキリする。