燃え尽きるということ

燃え尽きる
燃え尽きるということは何かが違うのだ
燃え尽きるのは元に間違いがある、驕りがあるということだ
元は地道が基本だった
やがて、地道が肥大に変わる
だから、燃え尽きるのだ
自分を見詰めよう
自分に素直に話しかけよう
自分をくつろがせてやろう
自分を大切にいとおしむのだ
やがて再生する
やがて

経験は残る

経営は何もないところから始めて、道をつくっていくようなものだ。何もかも自ら考え、決断し、行動し、責任を取っていく。基本は辛いことがベースだ。その辛いことも続けていくとやがては、楽しみに変わっていったりする。辛いことを辛い、辛い、助けてくれ、と思いながらやっていたら、とうてい続かない。何せ経営は終わりがないからだ。うまくいく時なんていうのは一瞬なんだから。うまくいったら、すぐに次を考え、行動していかなくてはならない。本当にいろいろなことが起こる。だけれども、全ては自分に責任があるから、逃げることはできない。逃げなければ、それがまた、貴重な経験になる。過程がどんなに過酷でも、経験だけは自分の心の中にはっきりと残る。胸に刻み込まれた経験はやがては知恵となり、次の礎になる。経営は終わりがない。永遠に戦い続けなくてはならない。だが、確実に自分が生まれてきた使命を果たしつつ、生まれる前の神のもとへ堂々と帰れるように、一歩一歩近づくことができる。

これまでも耐えてきた。

これまでも耐えてきた。ずっと、ずっと耐えてきた。耐えに耐えながら、ひとつずつ、ひとつずつ課題を片付けて、一歩ずつ、一歩ずつ、前に進んできた。前に進んできたけれども、まだまだ耐え続ける。耐え続けなくてはならない。経営は終わりのないゲームだ。始めたなら永遠に終わりなくゲームを進めなくてはならない。課題は待ってはくれない。さくさくと考え、片付けていく。これが経営だ。ずっと、ずっと耐え続けながら、次の手を打ち続け、手を加えて、最善のことをやる。そうやって顧客に応え続けていく。これまでも耐えてきた。ずっと、ずっと耐えてきた。これからも耐えることをやめないだろう。永遠に走り続けるんだ。

眠れ

疲れた時はよく眠れる。生徒さんがわかった、というレベルと心から納得し理解してやり込んでいくレベルとでは、後々残っていく理解の質が全く異なる。始めにどれだけ納得できるところまで教えきるか、これで頭に、そして、心に思考として残っていくかが決まるのだ。生徒さんの顔を見ながら本当にわかったか、流れもつかめたか、心から納得しているかを計りながら、神経を張り巡らせて教えていく。昨日よかったやり方が今日もいいとは限らない。同じ内容を教えていくのでも、生徒さんの一人一人でアプローチが違うのだ。そのポイントが授業のある時点でわかる。そうすると刺さっていく。そういうことなんだな、やっとわかった、という表情になる。これを毎日、毎日やる。疲れるのだ。夏の終わりには疲れのピークを越えてしまう。疲れはてたな、と思ってもまた、疲れを越えていく。生徒の成長が実感できればやれてしまうのだ。そして、目をつぶると直ぐに眠れてしまう。また、目をあけるともう朝なのだ。

やれることをやりきったなら、あとは何を言われてもいい。

やれることをやったら、あとは何を言われてもいい。評価は他人がするものだ。ここまでやる、と決めてちゃんとここまで以上にやる。そうしてら、あとは堂々としていればいい。やれることをやりきったのならば、相手が喜んでくれればそれでいいし、相手が喜んでくれなければそれは相手の問題なのだ。大事なのは自分が考えられることをちゃんとやりきることだ。

良質なサービスを貫く。

良質なサービスを貫く。人を採用して、育てる。一人前になってもらう。その人にプロの国語専門塾の講師として誇りをもって仕事をしてもらう。そして。顧客の要望を聞いて問題が解決するまで手を打ち続ける。その間決してあきらめず、嫌な顔ひとつせず、対応する。顧客の要望は一見むちゃくちゃだったり、理不尽だったり、一方的だったりするが、それは表面的なものだ。じっと耳を傾けていくと全く違うことで悩んでいたり、問題点がはっきりと見えてくる。問題点がはっきりとすれば適切な手も打てる。逆に言うと、本当の問題点がはっきりしてないのに一般的な当たり障りのないことをやってあげても無駄な労力になる。だから、やるなら顧客の要望にしっかりと耳を傾け、本当の問題点がはっきりわかるまで話を聞き抜くことなのだ。

恐怖心

誰だって新しいことを始めるときや、未知のことに足を踏み入れるときには恐怖心を感じるはずだ。どんなに屈強な人間でも恐怖心は無いはずはない。むしろ、恐怖心はなくてはならないものだ。失敗することだってあるし、途中で頓挫することだってある。あらゆることを予め想定しておく必要があるのだから、まともな感覚の人間なら恐怖心はあるのが当然なのだ。そこで、どうすればいいか、というと、恐怖心から挑むことを避けてしまうのは愚かだということだ。恐怖心から、あらゆる場面を想定しながら、周りの動向を見て、計画を立てて、行動にしていくことだ。行動していけば、なにがしかの反応が得られる。行動していくと、そのほんの些細な反応が貴重な経験になる。その経験が後々に他の場面で役に立つのだ。