戦ったらだめだ。

戦ったらだめだ。相手が戦う姿勢で来ても、受けて立ったらだめだ。受けて立つと益々戦う姿勢が強固になってしまう。大切なことは何だろう。何を改めればお互いにいいんだろう。何がその人を戦わせてしまったのだろう。戦うために、その人も来たのではない。わかりあうために、来てくれたのだ。じっと話を聞く。話に耳を傾ける。何が問題なのか?何が原因なのか?何があったのか?ただただ受け入れる。絶対に反論したり、議論にしてはならない。その人も何が本当の問題なのか、実はわかってないからだ。ひたすら受け入れていると、精神的に破綻した人を除いては本質を語り出す。その時に突破できるチャンスがある。問題を解決する鍵を見つけることができる。

人を大切にする。

人は大切にされるとわかるものだ。大切にされてないこともまた敏感にわかるものだ。人は大切にされると、それに応えようとする。成長しようとする。大切にされてないと、反発する。心が荒廃する。人は大切にされると明るくなる。よく笑い、お返しをしようとする。ひとは大切にされてないと、離れていく。後ろ足ですなをかけようとする。

憎しみを消す技術。

憎しみは技術で消すことができる。技術といっても、そんなに対したことではない。自分の発する言葉に注意をはらう。それだけだ。同じことを伝えるのでも明るく、前向きで、勇気と希望に満ちた言葉を使うこと。これが憎しみを消す技術なのだ。どんなについてないなと思えるようなことでも、明るく、希望に満ちた言葉を使い尽くすこと。決して怒ったり、怒鳴ったり、非難してはならない。この程度ですんでよかった、と感謝するのだ。病気になったら生きていてよかった、はやくわかってよかったと感謝する。言葉は人を生かしもするし、殺しもする。崖っぷちにいても、もうだめだと思ってびびってしまえば、さっさと落ちてしまうだろう。しかし、まだ落ちたわけではない、と抜け出す道もあるはずだと思っていれば助かる道も見えてくる。生きることは選択の連続だ。そして、その選択は二つしかない。希望か、絶望かなのだ。そのどちらかなのだ。そして、憎しみを消すには希望を選ぶことなのだ。絶望を選択して憎しみを消すことは絶対にできない、

憎しみは自分の代で絶対食い止める。

憎しみを持ち続けることは自分の心を焼きつくしてしまうことだ。と同時にあなたのまわりにいる大切な人の精神をも焼きつくしてしまう。あなたがどんなにまわりの人を愛そうとも、あなたの愛情は憎しみで濁ってしまう。そして、理不尽な怒りを大切な人に向けてしまう。だから、まわりの大切な人を心から愛そうと思えば、憎しみは自分の代で絶対食い止める!そして、大切な人を心から愛せる自分に生まれ変わる。まず、憎しみを心の中から掃除してしまうことだ。心の掃除は簡単にできる。夜、眠る前に決して怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみ、妬み、嫉妬といった否定的な感情を持たないことだ。夜寝る前だけは心を平安にして、無垢な気持ちで眠るのだ。それだけで心の中がきれいに掃除される。やってみると心の中が掃除されてくることがはっきりとわかるはずだ。。

もうだめだ!と思ってからが勝負なんだな。

もうだめだ!打つ手がない!と思ってからが勝負なんだな。本当のスタートはもうだめだ!と後がなくなってからなんだな。人間はもうだめだ、道がない、他の手もない、と逃げ場がないときの方が真剣になれる。ここから事態が打開される。不思議なことだが、もうだめだ!となったときに道は開けていく。だから、もうだめだ!となったらチャンスなんだ。もうだめだ!となったときに事態が急展開するんだ。夜明け前が一番暗く、寒い。そして、夜が明けると一気に事が運ぶのだ。生きていてよかった、と思うのはこんなときだよなあ。

憎しみは自分の代で絶対食い止める!と決めたら

憎しみは自分の代で絶対食い止める!と決めたら憎しみを消す技術をいくつか身に付けるといいです。憎しみが心にある人は、嫉妬、怨み、つらみ、不平、不満といった自分の心に否定的な観念がいっぱいに詰まってしまっています。その否定的な観念が心にたくさん有る限り、たとえどんな素晴らしい話を聞いても、また見ても本当に気持ちが晴れることはないのです。だから、心の中にある否定的な観念をきれいに掃除をするのです。箒も要りません。雑巾も要りません。やり方はかんたんてす。夜寝る前はきれいな心で眠る。それだけで心の中がきれいに掃除されます。夜寝る前は今日一日あった嫌なこと、悲しかったこと、苦しかったこと、その他一切の否定的なことを考えないようにするのです。そして、眠る前だけは自分は心が穏やかで、優しさに溢れ、みんなから愛される人間だと、いいやつになって眠る。それだけで寝ている間に勝手に脳が心をきれいに掃除してくれるのです。まず、やってみることです。

憎しみを消す決意をする。

憎しみを消すことはそんなに難しいことではない。これはやってみると簡単なことだ。本当に簡単なのだ。簡単だからこそ、そんなに簡単なら世の中から争いも紛争もとっくになくなっている筈だ、とか何とか言ってやらない人もたくさんいる。実際ほとんどの人が、やれっこない、嘘だ、あいつだからできたんだ、たまたまだ、俺の場合はもっとねが深い、そういう言い訳をして生きていく。憎しみを抱えたままで。結局は人を憎しみ続けていたほうが楽なのだ。そういう人は。しかし、憎しみは何も生まない。ただただ新たな憎しみを生む、その人の心を焼き尽くし続け、自分の周りの人に憎しみのバトンを渡してしまう。そんな風になってしまう人が多いのだ。
しかし、憎しみは自分の代で絶対食い止める!のです。どうやって憎しみを消すのか?どうやって憎しみを自分の代で絶対食い止める!のか。簡単なことなのです。それは、憎しみは自分の代で絶対食い止める!と決めることです。決めればなくなっていくのです。そんなんで消えるなんてありえないとか、そんなんで消えるなら苦労しないとか、思ったらいけません。どうせ、とかそんなうまくいかない、と思うことも憎しみから生まれた考えなのです。罠なのです。だから、まずは憎しみは自分の代で絶対食い止める!と決めてみましょう。はじめはやっぱりダメだ、とか思ってもいいのです。その都度、憎しみは自分の代で絶対食い止める!と思い直せばいいことなのです。

憎しみは消せる

憎しみは消せる。憎しみはなくすことができるのだ。ただ、憎しみが心にある人は心の奥底に憎しみがこびりついているために、逃れることはできないと諦めてしまう。小さいころからの蓄積で、また習慣でたまってできる感情だから逃れられないと思い込んでしまうのも無理はないことだ。しかし、憎しみは自分の精神を怒りや嫉妬、不満、不平といったマイナスの感情で燃やし尽くしてしまう。憎しみは新たな憎しみを生んでしまう。だから、心に憎しみを抱えている人は心のエネルギーが枯渇しやすい。そして、実際に枯渇してしまう。だから、人を憎むのはやめましょう。人を恨むのはやめましょう。憎しみからは何も生まれません。憎しみはもっと大きい新たな憎しみを生むのです。そのもっと大きい新たな憎しみとは自分の周りの人間に確実に移って、伝播していくのです。
絶対に自分で食い止める!のです。こんな不毛な憎しみは自分の代で絶対食い止める!のです。そのためにあなたが暗い生き方を捨て、明るく、元気で、勇気に溢れ、希望に満ちた人に生まれ変わるのです。絶対に自分の代で食い止める。その決意がたいせつなのです。

ひとりになるとき

今日は一人きりになりたい。ひとりきりに。誰にも会わず、誰にも見られず、誰とも話さない。ひとりきりに。誰とも口を利かない。ただただ自分だけの殻に閉じ籠っていたい。頭が他人を退けている。そうやって他人を退けていると徐々徐々に頭が正常に戻ってくる。殻が柔らかくなってくるのだ。

夜明け

夜が明ける。開けてしまえば長いように思えた夜も一瞬、ほんの一時期のことだったなと思う。暗闇にいる苦しみだって、本当は一瞬なのだ。一瞬だとわかると、また次の闇が来たときも落ち着いていられるようになる。終わった。次へ行こう。