暗闇になれ、前におそるおそるでも進むことができるようになる。何とかなると思う。そうやって暗闇に慣れる。だが、しばらくすると次々に難問が押し寄せてくる。これはこれは面白いようにやってくる。ひとつの苦難に誠心誠意取り組み、ヘトヘトになる。精力を使い果たし、疲れはて、傷だらけになっていても、容赦なく次々にやってくる。でも、夜明け前はそういうものなんだ。次の難問は前の難問が片付くのを待っているのだ。終わった頃を見計らって自分の番が来たと喜んでやってくるものなのだ。だから、ひとつ片付いたくらいで安心したらいけない。次がきたらやっぱり来たかと笑って迎えるのだ。絶対に、これ以上俺にどうしろというんだ!とか思ったらいけません。これはテストなんだ。たとえどんなに戦い、疲れはて、傷ついていても、誠実でいられるか、知恵が出せるか、あなたにどこまで本当の力があるかのテストなのだ。すると、どんな問題が次々にやって来ても結構やれるようになることがわかってくる。人はどんなに疲労していても、疲れはてていても、誠実でいる限りはエネルギーが宇宙のどこいらからあなたの心に注入されることがわかる。決して腹をたててはいけない。夜明け前が最も暗いのだ。ある時ふっと明かりが差して夜も明ける。
出口のないトンネルはない。
出口のないトンネルはない。たとえ、暗闇が永遠に続くように見えたとしても、気を保ち、考え、知恵をだして、前に進んでいけばどこかで明かりが差す。どんなに長いトンネルでも必ず明かりが差して出口が見つかる。同じところを行ったり来たりしてると出ることはできませんけど。
プロは苦しい時こそ飛躍できることを知っている。
プロは苦しい時こそ飛躍できることを知っている。知っているから苦しくなってくると燃える。逆境は飛躍するために必要な状況なのだ。苦しいから、原因を必死で考えるし、苦しいから解決するために行動力だって飛躍的につく。逆境は次のステップにあがるためである。
プロは逆境に強い
プロは逆境に強い。プロは逆境でも逃げない。プロは逆境でも笑っている。プロは逆境でも言い訳しない。プロは逆境でも人のせいにしない。プロは逆境でも立ち向かう。プロは逆境でも決して腹をたてない。逆境でも腹が据わっている。
プロは本当に苦しいときに力になる
プロは本当に苦しいときに力になれるのだ。本当に、本当に、本当に、クライアントが苦しい時に何の言い訳もせず、ただひたすら話を聞き、苦しい心を受け入れ、クライアントが落ち着くまで受け入れ続ける。じっと、話を聞き続けていくと、ある時本当の要望を話し始める。はじめはきっと何が真意なのかクライアントもわからないで話しているのだ。ずっと頭から浮かんでくる言葉を延々話していくと、やがて真の問題はどこにあるのかが話す方も見えてくるのだろう。本題をそろそろと話し始める。こうなるとだいたいのことはわかってくる。問題はどこにあるのか、その問題を解決するために必要なことは何か、そして、いつ実行するのかがわかるのだ。クライアントが苦しい時は一時的に冷静でないというだけなのだ。冷静さを取り戻すまで受け入れてあげると自然と答えもわかるのだ。
成功し続ける恐怖に脅かされるな。
成功し続ける恐怖に脅かされてはいけない。たしかに、うまくいくようになると、その状態が続く保障など何もないことに気づく。人生は何が起こるかわからないから、どんなことが起ころうと、どんな事態になろうと、手を打ち乗り越えていかなくてはならない。そのためには全人格的な努力と、走り続ける体力、次々起こる難問を傷つかずにクリアしていく心の強さ、様々な精神力が必要だ。成功し続ける恐怖に脅かされるということは、圧倒的な責任に押し潰されるということだ。そんな恐怖に脅かされることは心の地獄だ。そんなことにしたらいけない。せっかくここまでやったのだ。ここまでやれたことに感謝するのだ。世の中には自分の力を発揮できない人だってたくさんいる。今日一日食べることに困る人だってたくさんいる。ならば、自分のやりたいことをやり、思った通りに生きれることになぜ感謝できないのか。そんなことに心が脅かされたらいけないんだ。自分のやりたいことをやれることに深く感謝して、自分に与えられた使命を全うすることに楽しみを見出だすのだ。喜びを感じるんだ。全身で。人間はどんな辛いことも、苦しいことも、喜びに変えられる、楽しみに振り替えられるのだ。たとえ、どんな悪意に満ちているとしか思えないことが自分の身に起ころうとも、その解決に喜びを見出だせるのだ。何が来たっていいじゃないか。何だって受け止めればいいじゃないか。矢が来たって、鉄砲が来たって、いいんだよ。
成功するということ
人は一瞬でもいいから成功したいなと思う。ぱーっと、ほんの一回でいい、一瞬でもいい、成功したいと。でも、実際には成功してみるとなんてことはない。一瞬の成功なんて大したことないのだ。次の課題がどんどんと押し寄せてくる。成功したら、成功し続けることがすぐに、待っている。成功し続けるために全力で掛けていく。全力で走り続けると成功し続けるためには、不断の努力が全人格的に必要であることがわかる。仕事に対しても、顧客に対しても、スタッフに対しても、そして何よりも家族に対しても、全人格的な努力と幸福とは何かという点において絶対的な哲学が必要なのだということが。僕の場合はもうひとつ、うまくいっていても、ダメになってしまうかもしれないという恐怖心を断固として自己の心から排斥し続けることが必要だ。
ビクビクしたらだめさ。
人生は苦難の連続だ。いつ、何が起こるかわからないのが人生だ。それが当然なんだ。だから、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようとビクビクしたら逆に思った通りになってしまう。運命にもてあそばれてしまう。辛いことに、苦しいことにもてあそばれてビクビクしたら、心がその辛いことや苦しいことにもてあそばれてしまう。ビクビクしないこと。どんな辛いことも、苦しいことも、悲しいことも、たとえ悪意に満ちているとしか思えないことも、喜びに振り替えるのだ。楽しみに変えていくのだ。辛いことも、苦しいことも、なんだって受けて立てばいいじゃないか。
エンドレス
経営は終わりがない。永遠に手を考え、打ち続けることなんだな。打った手がうまくいったからといって、その手がずっとうまくいくなんてことはない。どんどんサービスの質を高めていく、顧客の要望の変化に応えていく、新たなサービスを派生させていく、サービスが枝分かれしたら、スタッフに気持ちよく働いてもらえるようにする、終わりなんてないのだ。これが経営じゃないのか。24時間、経営に執着して、執着して、覚悟を決めてやっていく。それだけじゃないか。
旅
思いの外、一日休みが取れた。朝早く目が覚めたので、電車に乗って遠くの温泉にでも行ってみたくなった。そこで、ちょうどきた特急に乗る。特急列車は気持ちがいい。本を読みながら居眠りをする。そして、目が覚めると緑の木々の下にきれいな川が流れている。都会の中にいると忘れてしまう景色だ。今日はひとりなのだ。誰とも会わない。誰にも会う可能性もない。ひとりで歩く。ひとりで店に入る。ひとりで食べる。ゆっくり、自分のペースで動ける。温泉町で入った洋食屋は気持ちがよかった。店員さんの顔つきがいいからだ。仕事に誇りを持っている顔だった。肉ではなく、魚にした。これも地の野菜とうまくまとまりがあっておいしかった。で、温泉。チケットを買って温泉に入る、透き通ったお湯だ。あたたかい。ため息が出てしまう。しばらく浸かっていると脚の力が抜けてくる。細胞のひとつひとつが休まっていく。なんて気持ちいいのだろう。頭を洗っては温泉に浸かり、体を洗っては温泉に浸かる。のぼせてきたので、一旦あがって体を冷ます。脱衣場に足のマッサージ器があったので腰かけて使ってみた。振動が心地いい。しばらく体を冷ますにはちょうどいい。目の前に山が見える。外からの風が体にあたる。涼しい。汗が引いた。もう一度温泉に浸かる。あたたかい。今度は体がくねくねになる感じがする。いつまでもこうして入っていたいのだが、もうすぐに限界がしてしまった。汗が引くのを待って、着替える。いい休みの日になった。お休みをいただけてありがとうございます。