プロは気持ちが穏やかである。

プロは気持ちが穏やかである。なぜなら、日々技術を磨き、良質な仕事をしていれば、人様から喜ばれる。また、人様から喜ばれていれば自然と自信も出てくる。自信があれば威張る必要もなくなるし、いつも腰を低くして、謙虚に人の話すことに耳を傾けることができるようになるからだ。必然的に気持ちが穏やかになる。仕事をしていれば、辛い時や、苦しい時もある。が、自分に自信があれば、辛いことも、苦しいことも、ぎりぎりまで気持ちを維持できるのだ。

プロは技術を磨く。

些細なことをさっと片付けられるのがプロの技術だ。素人さんが数時間かけてやることを一瞬でやってみせるのがプロの技術だ。無理なことでも粘ってやり抜けるのがプロの技術だ。大変でも、忙しくても、プレッシャーがかかっても、ストレスをためずにやれるのがプロの技術だ。技術があるから大変な時でも乗り切れるのだ。個人のやる気や、気力だけで乗り切ることは一時的にはいいが、長期的には無理がくる。だから、始めに技術を学び、磨くのだ。

気持ちがいい。

いろいろやらなくてはならないことはたくさんある。辛いことや、苦しいこともたくさんあろう。が、心は気持ちがいい。心のなかがすっきりして、思いきり風通しがいい。 人間の幸福は決して社会的、客観的な状況では決まらない。その人の心のなか、主観で決まる。どんなに状況が悲惨でも、客観的に苦しくても、その人の心のなかが清らかで強く、覚悟ができていれば、幸福なのだ。自分の心がガシッと決まっていれば何があっても、何が来ても、何でも来いという気持ちになれる。また、そのときにも冷静に対処できる。こういう気持ちのいい状態になるとどんなことでもがパクパク片付けられるようになる。とても気持ちがいい。神様、ありがとうございます。

無理をしないでいい。

無理をしないでいい。お前はもう、頑張らなくていい。ひょうひょうとやっていこう。急がなくていい。たんたんとやれることをやればいい。決して無理をしないでいい。お前はもう、お前としてやれることはやっているのだから。最近、年を取ったと思う。実際年を取ったのだ。走らなくていい。着実に、着実に、前に進めばいい。お前は十分頑張ったよ。

妻へ

僕はこれまで妻の愛情で生きてきた。生きてくることができた。これからは僕があなたに愛情を注ごう。俺は冷たい。人間だったなあ。夫としてあなたに何ができたろう。何をしてきただろう。お金を稼ぐ以外に何もしてなかったんじゃないか。何もできなかったんじゃないか。これからは僕があなたに愛情を注ごう。これまで僕を支えてくれて本当にありがとう。

99%の苦しみと1%の喜び

人生は99%の苦しみと1%の喜びでできている。苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しみの末に何かを達成したり、誰かに喜んでもらったりしたときに1%だけ喜びがある。ただ、その1%の喜びは今までの苦しみを吹き飛ばしてしまうのだ。99%は苦しみだと思っておけば気持ちは楽だ。まずは基本苦しいのだから。あとはそのほとんどの苦しみを楽しくやれるようにする。喜んでやるようにする。そうやって、苦しみを楽しみに、喜びに変えていけばいい。この振り替えができると人生は楽しく生きられる。目標の達成もはやくできる。

執着を手離す

自分には柔軟でないところがある。柔軟でないところは執着なのだ。子供の頃に洗脳された価値観をそのまま受け入れてしまった執着なのだ。その執着が合理的でなかったり、不公平だったり、冷酷だったりして人生を生きていくのにマイナスになるときは、その古い価値観を手離して、より風通しのよいものに変えていく。その時になかなか手離せない、今のままで執着にしがみついていたい自分がある。でも、手離すときには手離さなくてはいけない。手離すんだと、何度も、何度も自分に言い聞かせる。毎日、毎日。言い聞かせる。その都度古い執着に引きずり込まれる。怖くなる。不安になって暗い大きな穴に引きずり込まれそうになる。それでもパ、パッと気持ちを切り替えていく。新しい価値観に変わることを信じる。信じ続ける。すると、すぅっと心が軽くなった感じになり、解き放たれる時が来る。もう、暗い穴に夜中急に引きずり込まれそうになっても、冷静に自分を客観的に見られるようになる。魂に夜明けがきたのだ。古い執着を捨てると、新たな収穫がすぐに得られる。不思議なことだ。

お寿司屋さん

自分で言うのも何だが、この仕事は日日の講義も、経営のことも緊張状態が連続する。だから、たまにゆっくりご飯が食べたい時がある。その時に行くお寿司屋さんがある。静かで、落ち着く、いつ行ってもいいネタで握ってくる。お茶を出してくれる女の人も上品で気持ちがいい。心が整うのだ。もともとはたまたま入ったお店だった。今はホテルで食べても静かにはなかなか食べることはできない。安売りするからだ。大きいところは今の日本の経済では安売りしないと経営が成り立たないのだろう。しかし、この店は安売りはしない。だから、いつも静かで落ち着いた空気を提供できる。とはいえ、これだけのネタをいつ行っても揃え続けることは大変だろうな、といつもいつも思っていた。この前行ったときに話を聞くと、結婚はしてないんだという。三年ほど所帯を持ったが仕事に集中できないから、仕事と家庭と両方やることはできないから、三年で別れたという。以来、一人でやっているのだと。一人でやっているから、ネタにロスが出ても吸収できるのか。一人でやっているから、店にこれだけの思いを込めることができるのか。一人でやるからほんの一瞬でいい、ゆっくりご飯が食べたい人を決して裏切らずにこの落ち着いた空気を提供できるのか。この人はこの店が命なのだ。私はいつも家庭を犠牲せずに仕事をやるにはどうしたらいいかを考えながらやってきた。創業したときも、顧客が来てくれるようになったときも、家庭を犠牲にしないことをいつも第一に考えながらやってきた。それが当たり前だと。この人は仕事を選んだんだ。仕事だけを選んだんだ。この店の空気は大将の一生を賭けてつくられたものなんだ。ありがとう。また、がんばろうと背中をおしてもらうことができた。

よくここまできた!!!!

立ち止まる。ゆっくり考える。やっとここまで来ることができたのだな。ひとりひとりに仕事をおしえていく。今までは自分がやっていたことだ。自分がやった方が早くて正確だから。でも、丁寧におしえていく。そして、実際にやってもらう。すると、できるのだ。たとえ、失敗があっても、こうするといいと教えていけば吸収してくれる。学んでくれるのだ。神様はこの私にお前が今までに学んだことを若い人に教えて、先生たちを優秀な塾の講師から、本当に人生を賭けてやるだけの価値のある仕事にできるように伝えるんだという使命をお与えになったのだ。五年前、お前が思ったことが現実になったのだ。五年前は先生たちもまだ若くて教えることで精一杯だった。だから、経営のこと、事務的なこと、顧客のフォロー、苦情の対応何もかも私がやらなくてはいけなかった。しかし、今は先生たちが育ってくれて、本当に塾の講師としては優秀に育ってくれた。だが、この業界で人生を賭けて生きていこうと思ったら、教える技術が卓越しているだけでは足りないのだ。本当の信頼を顧客から勝ち得ることができること。それが一生かけてこの仕事でやっていくには絶対に必要なことなのだ。どうすれば本当の信頼を顧客から勝ち得ることができるかを、私は教えなくてはいけない。それがこの私についてきてくれている人たちへの礼儀だと思うのだ。

よくここまできた!!!

私はいつもいつも走ってきた。いつもいつもアクセルを踏んで走ってきた。でも、今は走ってはいけない。立ち止まる時なのだ。立ち止まって今までついてきてくれた人をゆっくりと育てる時なのだ。今は走ったらいけないんだ。私はいつもいつも走ってきた。いつもいつもアクセルを踏んで。ビジネスはすぐに陳腐化する。陳腐化する前に顧客のニーズに応え続けなくてはならないからだ。私はビジネスが陳腐化する恐怖感に追いたてられていたから走り続けることができたのだ。しかし、考えたビジネスが離陸したら今度は内部、働いてくれる人のシステムが崩壊する。システムだけでなく、働いてくれる人の心もまた崩壊する。これはビジネスを考え、企画して、行動し、離陸すると必ず起こることなのだ。こういうときは仕事はこうあるべきだから頑張れ、とか、辛さに耐えろとか、人を鞭で叩いたってダメなのだ。いったん立ち止まる。立ち止まって話を聞く。ひたすら聞く。不満があればしっかり受け止める。その上で、ひとりひとりを包み込む。包み込んだら、再び我々の理念と哲学を理解してもらう。そして、システムを作り替えていく。ひとりひとりが自立した充実感のある空気を作り込んでいく。今がその時なのだ。