だからといって、焦る必要は全くない。まずはよく話をすることだ。たまっているものがあれば出してもらえばいい。怒りは一度解放し、出すものは出し切った方がよい。怒りを解放すると、そこで前向きな気持ちもでてくる。だから、始めに言いたいことを出してもらった方が前向きな気持ちになりやすい。その上で、ひとつずつ、ひとつずつ智恵を出しながらより良い、働きやすくなるように解決策を練っていけばよい。もう、私ひとりで切り盛りしていく時はおわったのだ。優しさと愛情に包まれながら理念、哲学を皆で共有して、ひとりひとりが成長し、自己実現していけることを喜べるようにする。ビジネスは物もお金も大事だが、いかに人を育てたかで決まる。顧客が心から喜んでくれる人を育てる、まわりを見渡してバランスをとれる人にそだてる。すべては人で決まるのだ。
よくここまできた!
三年にいっぺんくらいの割りで仕事上でつくった仕組みを破壊しなければならない時がある。ビジネスが成長すると今までの仕組みではたちいかなくなってくるのだ。それだけ我々のビジネスに賛同してくださる方が多いから、今まで使ってきた仕組みを破壊するわけだから、ありがたいことなのだ。まず、仕組みを破壊しなければならないところまで来れたことが、まず喜ばしいことなのだ。そのことを感謝した上で、破壊していく。そして、より我々の理念にそい、我々の理念が浸透する仕組みに変えていく。焦らずにひとつずつ、ひとつずつ意志疎通を地道に重ねながら、智恵と勇気と愛情でより良い仕組みをつくること。それが至上の命題になる。
よくここまできた。
今のうちに私だけが動かせる組織から、チームで動かせる組織に変えていくことが必要だ。先生の数も増えた。サービスの種類も増えた。私は教えなくてはいけない。そして、先生たちひとりひとりが充実して、尊厳を大切にしあえる仕事場にしたい。する。必ずできるはずだ。まず、意志疎通が円滑にできるように仕組みをつくることだろう。
結婚は逃げ場ではない。
結婚は逃げ場ではない。相手に失礼だ。相手にもたれかかる、相手にぶらさがる、相手に寄生する、そんな関係が一生続くことはあり得ない。だから、そんな結婚ならしない方がいい。そもそも、一人の人間が大人になるまでに親がどれだけの愛と、優しさと、勇気と、お金をかけてきたかを考えてみよう。それは莫大なものだ。その莫大な愛と優しさと勇気とお金をかけられてきた人と共に人生を歩むのだ。そう考えたら、そんな大事に育てられた人にもたれかかろうとか、ぶら下がろう、寄生しようなんてとんでもないことだ。その人の重い重い愛を含めてすべて背負う覚悟がいるのは当たり前じゃないか。結婚は愛する人のすべてを背負うものなのだ。そのために、まず、自分が自分の人生に責任を持てるようになることが基本となるのだ。
結婚を逃げ道にしない
結婚を逃げ道にしない。みんなが結婚したから。親が結婚しろと言うから。苦しいことから逃れたいから。生活が苦しいから。そんな動機で結婚しない方がよい。はじめのスタートが不純なものならば、その不純さや邪悪さはあとになって帰ってくる。何倍も、鋭くなって。また、そんな不純な動機で結婚したい人と結婚してはいけない。どんな誘惑にも乗ってはいけない。あなたに人を見抜く目があれば愛情からでたものか、私利私欲が隠れているかすぐにわかるはずだ。私利私欲から出た誘惑に騙されてしまったら、それはあなたがまだ未熟なのだ。
結婚は一生のものだ。そして、人生は苦しく、辛く、長い。そんな人生をいきていくとき、妻が、もしくは夫が自己の利益のみを考える人間であるのと、苦しみを愛情に振り替えていく力のある人間であるのとどちらが幸福か、考えればすぐにわかりそうなものだ。まず、自分が辛いものを楽しみに変えられるように、苦しみを愛情に変えることができる人間になろう。
お休み
今日はお休みだ。何もしない。町を歩く。ふらふらと。一段落した後だから本当に気持ちがいい。経営は苦しみの連続だだが、ふうっと飛び立つとしばらくは何とかなっていくものだ。ほんのしばらく今の気持ちでいたいなあ。
結婚は忍耐だ
結婚は人生の墓場だという人がいるが決してそんなふうに思わない方がいい。結婚は修行なのだ。本来、人間一人生きていくことは困難な、苦しいものなのだ。何が起こるかわからない、辛く、苦しいものであることは一人で生きていようと、結婚していようと何ら変わらない。生きていれば当然ある困難に自ら挑む姿勢があること。その姿勢があればやっていける。相手に頼ろうとしてはいけない。あくまで自分の人生は自分で解決する。お互いにその自律した姿勢があればうまく譲り合いながらやっていくことができる。自らが自らを助けることができることが結婚を楽しくする心構えだ。
結婚について
結婚はいいものだ。惚れた女と共に人生を歩んでいく。とても素敵なことだ。たしかに、自由がなくなる。自分の時間もなくなる。しかし、それは生きている意味は自分のために生きているのではない、誰かを幸せにするため、誰かのお役にたつために生きているのだということを学ぶためなのだ。自分の楽しみのためだけに生きている人は、人間本来の生きる意味からは外れて生きているということなのだ。結婚は強制的に何のために人間として生まれてきたのかをわからせてくれる。結婚から学べることはたくさんある。
確実に一歩ずつ前に進んでいる。
確実に一歩ずつ前に進んでいる。問題に逃げないで、且つ誠実に対応していれば、どこかで前に進めるときがくるものだ。もうだめかな、というときはあと少しの合図だ。もうだめだと思ってからが本当の勝負どころだ。そこから解決に向かう。お前が逃げなければ。お前が誠実にむきあえば。必ず突破できる。必ず突破する。
崖っぷちに立たされたら
崖っぷちに立たされたら、まだ崖っぷちにいるんだ、大丈夫なんだと思えるように自分を鍛練しよう。まだ崖から落ちたわけではないのだから。崖っぷちにいるからといって、もうだめと決まったわけではないのだから。崖っぷちにいるときに恐怖や、不安、動揺に支配されない心が必要なのだ。恐怖や、不安に押し潰されて自ら崖に落ちていってしまうこと。それが最も愚かな行為なんだ。あなたはまだ崖から落ちたわけではないのだ。立ち止まって、崖から脱出する方法を考えるんだ。最後の最後まで。そして、脱出する方法が見えたら、落ち着いて、行動に移す。脱出する。人生はそんなことの連続なんだ。それが面白いんじゃないか。その経験の蓄積でその人の人生が形つくられるんじゃないか。