まじめにやればやるほど苦しくなる。これは本当に苦しい。たしかに苦しい。でも、どこか修正しなくてはいけないところがあるのです。頑張っても頑張っても頑張っても、結局破綻する。気付き、認め、修正するまで苦しみがつづくのです。まじめにしがみついちゃいけないのです。まじめな人はまじめなだけが取り柄ですから、まじめにやります。でも、いったんまじめを手放すのです。真面目だけで生きてきたのですからまじめを手放すのは難しく思うでしょうね。でも、あなたが生き方を変えたいと思ったら必ず何かに出会えるのです。出会ったらのめり込みましょう。人生はあなたが望めば与えられるものなのです。新興宗教とか、マルチはやめた方がいいですよ。あの人たちはあなたといっしょでまじめな人だから。一旦まじめを手放して、バランスとか、休むとか、勇気とか、遊びとか、まあ、まじめな人は学んでないんですよ。そういうものがわかるようになります。頭でわかっていても手離せないのならばまだ、手離す時ではないんですよ。ずっと苦しみがつづくのです。でもね、あなたがね本当に望めば変われるのですよ。
まじめなだけでは楽しくないでしょ。
まじめにこつこつとやる。とてもいいことです。とても貴いことです。とても立派なことです。でも、まじめに一生懸命頑張っても、まじめなだけでは頑張れば頑張るほど苦しくなる。やがて、一日は二十四時間しかないからこれ以上頑張れなくなる。しかも頑張っても頑張っても嬉しくない。楽しくない。しかも究極的には誰からも感謝されない。ならばどうしてまじめに頑張って頑張って頑張る必要があるのか?あなたのまじめさや頑張りかたに間違いが含まれているのですよ。このやり方では楽しくないよ、このやり方では破裂するよ、このやり方では心から落ち着いた気持ちは得られないよ、と神様があなたにひたすら教えてくれているんですよ。つづく、
一歩も引かないこと。
お引き受けしたら、後は一歩も引かない。相手が子供だし、長い間付き合っていけばいろいろなことが起きる。もうダメかなという状況が随分とつづくときもある。でも、調子がいいときは伸ばせるだけ伸ばせばいいし、逆に調子がよくないときは、よくないときにしかできないことをやればいい。ダメなときに絶対に一歩も引かない。効率が落ちてもいいのだ。一歩も引かず、その時に無理をせずやれることを粘って粘ってやる。やらせる。そうすると再び調子が上がりはじめると、ぐんと伸びる、というか精神的に強い生徒さんになる。始終、お引き受けしたら一歩も引かない。その姿勢が人を勇気付け、前に進ませるのだ。
理屈ではない、直感、霊感で決めることができるようになる。
理屈で考え、行動し、結果を出していく。とても理屈は大切だ、筋が通ってなければおかしいことになる。しかし、理屈で解決できることは限界がある。決断のすべてを理屈で解決できるわけではない。もしも、理屈だけで人間社会での諸々の問題が解決できるのなら、高学歴の人間はみんな幸福なはずだ。しかし、高学歴の人ほどますます悩み、苦しんでいる人が多い。目の前にいる人間が自分と気が合うか合わないか、付き合っている人が結婚して一緒に暮らしたときにうまくいくかいかないか、どっちも正しいときにどちらを選ぶか、こういった正解のない選択は理屈では全く答えを出すことはできない。感覚というか直感、霊感で決められなければうまくいかない。日本には感覚や直感、霊感のテストとか検定なんてないから自分で磨く必要がある。本当に大切なことは理屈で決めたらいけない。心の中の奥の感覚、直感、霊感で決められなければならない。なぜなら、この心の中の奥の感覚、直感、霊感こそが本当の真実だからだ。誰も言わないがこの直感、霊感を磨くことが幸福に生きるためには必要なスキルなのだ。
苦悩しない、努力を続ける。
苦悩してはいけない。苦悩しても何もいいものは生まれない。苦しみから出たものは更なる苦しみを生んでしまう。苦悩するよりも、前を向いて努力を続けよう。心をすみきった状態に修練するには、苦悩してはいけない。前を向いて努力をたんたんと続けることだ。そして、努力を続けることに楽しみを見出だすのだ。
恨まない、許す。
人を恨んではいけない。たとえどんな理由があっても、人を恨まないほうがよい。人を恨んでも、その気持ちは決して相手には届かない。自分の心を破壊し、自己の血を汚すだけだ。自分の血が汚れると怒りっぽくなったり、落ち込みやすくなったりする。また、体も疲れやすくなり病気に対する抵抗力が落ちる。どんな理由があっても、相手を恨むのもやむおえない時も、その人を許そう。許す努力をしよう。しかし、それでも許せないときは、嘘でも構わない。心の中がどんな状態でも、許そう!と言ってみるのだ。許そう!許そう!許そう!と嘘でもいい。心の中が煮えたぎっていてもいい。声に出して許そう!といってみよう。すっと心が解き放たれるだろう。心をすみきった状態に修練するには、人を恨んではいけない。その人を許すことが大切だ。
妬まない。共に喜び、学ぶ。
人の成功を妬まないこと。妬むことは自分の怠慢や不勉強、甲斐性の無さを棚にあげる心理だ。人の成功にけちをつけて、尚且つ自分の怠慢からは逃避する。そこには何の成長も生まれない。心が荒むだけだ。人が成功したときは、共に喜び、またその人から学べることを学ぶのだ。心をすみきった状態に修練するには、人の成功にけちをつけてはいけない。その人の血と汗と涙の結晶を共に喜び、学べるものがあれば学び、努力を続けることが大切だ。
恐れない。勇気を持つ。
新しいことをやる。初めての人に会う。人前で話す。どんなときでも恐れない。怖い時は勇気を持って前に進むのだ。怖がって何もしなければ、何の成長もしない。ただ、なにもしなかったことに後悔の思いに苛まれるだけだ。恐れちゃいけない。勇気を持つんだ。勇気を出してポンとやってみる。やってみることが経験になる。経験は誰のものでもない。やったその人自身の財産だ。誰も奪うことはできない。そして、その経験を元にして勇気を出して次にすすむ。成功か、失敗かは重要ではない。経験が人を強くするのだ。心をすみきった状態に修練するには恐怖心と戦うこと。勇気を持って前に進むことが大切だ。
悲観しない。希望を見出だす。
たとえどんなに酷い状況にあろうと悲観しない。なかにはまずまずうまくいっていても悲観する人もいる。が、悲観したらダメなんだ。病気だったって、生きていることに感謝できる。心が自分を保ってくれていることに希望を見出だすことができる。まずまずうまくいっているのなら、うまくいっていることに感謝する。今あるものにまず感謝することだ。あれがない、これもない、あれもうまくいかない、これもまだだめだ、と思うから悲観的になる。これもできた、あれもできた、よかったよかったと。次はこうしてみよう。そして、その次はこれをやってみようと思っていれば楽しく努力を続けることができる。心をすみきった状態に修練するには悲観しない。今あるものにまず感謝する。そして前向きな努力を続けることが大切なんだ。
怒らない、いくらでも助ける。
人にいちいち腹を立てないことが大切だ。誰かが失敗しても気持ちよく尻拭いをすればいいじゃないか。尻拭いをしたからって自分ばかり損をしているなどということも思わなくていい。腹をたてるよりも協力して失敗をカバーしてあげた方が気持ちがいい。腹をいちいち立てていると、頭に地が上って結局自分の血が汚れてしまうだけのことなのだ。日常生活をしていく上で腹を立てる必要のあることなんてよーく見るとそんなにないものだ。心をすみきった状態に修練するには腹を立てないこと。怒らないことなのだ。