絶えず、顧客の心からの満足を優先する。そして、顧客の方々に応援していただく。これが究極の宣伝なのだ。顧客の心からの満足は、良質な商品をつくり、提供し続けることでしか得られない。それ以外にない。いいなという人を採り、育てて、出していく。それを愚直にやる。宣伝に資金をかければかけるほど、商品の質は落ちるのだ。いい商品をつくり、提供し続けること。それが究極の宣伝なのだ。
気付く
俺は色々な人の人生を背負っているのだな。これが神から私に与えられた課題なのだな。神から与えられたのならば背負わなくてはならないな。俺は家族の人生を背負っている。顧客の人生の一部を背負っている。そしてまた、先生たちの人生の一部を背負っているのだな。全然気が付かなかった。とてもおもい。あなたとなら乗り越えていけるだろう。
宣伝は少なく
宣伝は少ないほうがいい。できれば、いわゆる広告はしないことが理想だ。では、どうやって知ってもらうのか?どうやって宣伝するのか?今いる顧客にできる限りこことをする。打てる手が有る限りのことをやる。ここまでやってもらうなんて申し訳ないな、とか、ここまで考えてもらえるなんて、やってもらえるなんて、これは親しい友達に言わないではいられない、というところまでやる。そこまで顧客と信頼関係が築ければ話していただける。そういう信頼関係を築き続ける。それだけであまり宣伝はいらなくなる。心から感謝してもらって、親しい人に安心して紹介できるようになればいい。
堂々と戦う。
決してあきらめず、弱気を排して、絶えず目標との差を意識して、必要なことをやる。たとえ、どんなに頂上がはるか上にあっても、その高さに怯まず、差を一歩ずつ、一歩ずつ縮める。そして、その一歩を共に喜び、ほめ続ける。これだけなのだ。これだけでいいのだ。そうやって堂々と戦う。すると、手が届くところまで行くことができるものなのだ。
自分が悪者になればよい。
毎日トラブルや失敗がある。そのトラブルには必ず原因がある。そして、誰か一人が全面的に悪いなんてことはまずない。やった人の不勉強も原因だし、教える立場の人がちゃんと教えなかったのも原因だし、間にいた人がうまく伝えることができないのも原因なのだ。そこで、自分以外のものに原因を求めれば、もう責任のなすりつけ合いになるだけだ。だから、トラブルがあったときには、まず自分が悪者になる。俺がちゃんと説明しなかったから悪かったんだと。私がよく説明を聞いていなかったから悪かったんだと。私の伝え方が不十分だったから悪かったんだと。そうすると自分もトラブルが再びおきないように注意できるし、まわりの人も同じように自分の至らなかったことを素直に直せるようになる。自分が悪者になろう。
言い訳をしないですむ環境をつくる。2
言い訳は自己防衛するためのものだ。自分が責められないため、自分を守るためにやる行動だ。だから、失敗しても責められないんだ、自分を守ろうとしなくてもいいんだ、という安心感があればよい。失敗したらどうすればよいかを、きちんと教えればよい。トラブルがあってもトラブルをすぐに報告すれば、失敗による影響を最小限にできる。むしろ、すぐにトラブルに対処することで感謝されるんだな、ということが見に染みてわかってもらえればいい。言い訳をして、他人のせいにする方が事態が悪い方へむかうのだな、ということをわかってもらえるようにすればいいのだ。
言い訳をしないですむ環境をつくる。
言い訳は見苦しい。言い訳するということは、私は悪くありません、という意味だけではない。上司が悪い、親が悪い、社会が悪い、政治が悪い、先生が悪い、他人に責任をなすりつけているということだ。何かトラブルがあったとき、人のせいにしようと思えばいくらでもできる。しかし、何らかの形で自分に責任がある。自分に責任があれば改めねばならない。自分の撒いた種は自分で刈り取らねばならない。こうやって人は成長する。他の人間は関係ないのだ。自分が成長するためには言い訳をしないことだ。
言い訳をしないこと。
失敗しても言い訳をいないこと。これは仕事をしていく上でとても大切なことだ。失敗したら教えてもらって直せばいい。まず素直に謝る。その上できちんと教えてもらう。そしてもう一度やり直す。教えてもらったらありがとうございました。、と頭を下げる。それだけのことなのだ。それだけでうまくいくものなのだ。
なりたい姿をはっきりと思い続ければ思った通りになる。
なりたい姿をはっきりと思い続ければ思った通りになる。これは真実です。ちょっと普通では無理かな、ということをやろうとする、実現しようとすると気持ちの差で決まる。つまり、成し遂げられるか、それとも流されてしまうかの違いは何か?それは実は私は本当にこうなるんだと、はっきりと明確に意識し続けるかどうかにある。人間は自分の意識の範囲内で生きている。自分が思ったことしかできない。だから自分はダメな人間だ。勇気もない、優しさもない、どうしょうもない人間だと思っていたのに知らないうちに素晴らしい人間になっていたなんてことは決してない。どうせできない、と思っていれば何かいいチャンスがあっても逃してしまうだろう。苦しいときにもどうせできないと思っていたら、今日はもういいやとなりやすい。逆に私はやれるんだと思っていれば、チャンスがあれば、やります!となるし、苦しくてもたんたんと努力を続けることができる。人は自分が望んだ通りの人間になる。だから、まずどういう生き方をしたいか明確に意識することだ。
プロになるために。三年目
三年目は自分らしさが出せるようになる。二年あれば一年目の失敗を修正して、二年目を過ごし、現場での課題は少なくなってくる。仕事に無駄がなくなって安心感が出てくるし、また、それらが本人の自信になって顔に表れる。顧客も顔つきを見て安心して任せてもらえるようになる。それがさらに自信に繋がる。どんな仕事でも、きっと三年やり続ければ物になるものだ。だから、仕事を始めたら絶対に三年は続けるといい。三年やるとひとつのキャリアになる。三年やると仕事に愛情か芽生える。