お母さん、男の子はわからない生き物なんです。自分の子供だから自分の子供の時と同じだと思わないほうがいいです。神様は女の子には忍耐強さや継続する力を与えてくれています。男の子には未来を切り開くための勇気や屈託のなさを与えてくれているのです。もともと与えられたものがちがうのです。男の子に女の子に与えられた忍耐強さや継続する力を求めてもこたえてくれないのです。なぜなら、与えられていないものなのですから。
仕事の大変さを言い訳にしない。
仕事の大変さを言い訳にしないようにしよう。仕事は大変なものなのだ。家族との時間をつくる意志があればできるのだ。仕事が大変だから無理だとあきらめていると、その時点でもうできない。家族との時間をつくると決めることがすべての出発点なのだ。
自分がわるかったと言うとすべてが円滑にすすむ。
何か問題が起きたときは、自分がわるかったと言うとすべてが円滑にすすむ。たとえ相手に非があったとしても自分に何らかの非がほんの少しでもあれば自分の責任として引き受けるのだ。私がこうしておけばよかった、とか、あらかじめ説明が足りなかったとか、最後にチェックをしなかった私がわるかったんだ、とか自分に問題がなかったかを瞬時に判断して素直に非を認める。すると、相手もこちらこそ注意すべきだったと、お互いが譲り合えるようになる。気持ちよく次に進めるのだ。
家族との時間を大切にする
家族との時間を大切にする。どんなにこの仕事が佳境でも。妻とたっぷり話をする。子供と時間を過ごす。子供は親の背中なんか見ない。どれだけ時間をつくったかが大切なのだ。子供は親のことをよく見ているものだが、親のほうが仕事を理由にしてはいけない。父親が家庭にいなければ、子供は母親のいやなところと父親のいやなところをもらってしまう。が、父親が家庭にいれば、子供は母親のいいところと父親のいいところを両方もらえる。両親のいやなところをもらった子供と両親のいいところをもらった子供とでどちらが世の中に可愛がってもらえるか、簡単にわかるだろう。
どんなときでも逃げない。
どんなときでも逃げない。受けとめる。逃げたり、あきらめたら、その時点で勝負は決まる。逃げずに受けとめる。必ず道があるものだ。その道を共に探すのだ。勝敗は紙一重で決まる。だから、最後の最後まで粘り続けていくと勢いがつき、パタパタと逆転できるのだ。
いよいよ来た。
いよいよ来た。ここからが本当の勝負どころだ。足りない部分を見つけ手を打つ。保護者の気持ちを落ち着ける。最後の最後まで粘る。何があっても、何が起こっても落ち着いてやることをやる。
ゆったりと、落ち着いた気持ちで眠ろう。
寝る前は心をきれいにして、ゆったりと落ち着いた気持ちで眠ろう。今日一日どんな日だったとしても眠るときは心をきれいにして眠ろう。そうすると、次の日気持ちのよい朝をむかえることができますよ。間違ってもふとんのなかでクヨクヨしたり、腹をたてたりしてはいけませんよ。いいですね。眠るまえは、ゆったりと、落ち着いた気持ちで眠るんですよ。
耐えに耐えるんだ。
苦しいときはそれはある。だが、どんなに苦しくても、耐える、耐える。そして、耐えることを楽しめるようにする。耐えることを持ちこたえているととらえ直して、感謝と喜びに変えていく。そうなると苦しみも遣り甲斐に変わる。苦しみはなくなる。苦しいからってのたうち回っちゃいけない。苦しいときに騒いじゃいけない。ますます苦しみが増幅するだけなんだ。苦しいということは生きているということなんだ。苦しいということはたえている、持ちこたえているということなんだ。苦しいときは神が与えてくださった試練なんだ。苦しみから逃げることは神の意志に背くことなんだ。どんな苦しみだって喜びに変えられる。変えてみせる。
専門化と視野
国語の専門塾をやっているとあまりに専門なのでついつい視野が狭くなってしまう。付き合う人も限られてくる中でのなで違和感を感じたりする。国語の専門塾がわたしのすべてになってしまうのだ。だからこそ、家族は大切なんだなと思うのだ。家族のなかでは私はなにもできない夫で、なにもしない父親なんだ。家族は私を客観的に見てくれる。そうすると、あっ、そうか。いけないな、と軌道修正できるのだ。
心を無にしよう。
心を無にしよう。知らず知らずのうちに謙虚さを忘れていた。傲慢になっていた。心を無にしよう。顧客の顔をひとりひとり思い浮かべる。ひとりひとりに何をしたらよいか、徹底して考える。そして動く。心を無にしよう。はじめに戻るんだ。逃げずに、一からやり直すんだ。それがお前なんだ。心を無にしよう。今、気付かせてくれてありがとう。