心のあらいかた3

人は言葉で生きている。言葉によって人を喜ばせることもできるし、また逆に人を精神的に抹殺することだってできる。心をあらうには言葉に十分な注意をはらうことだ。まず、言ってはいけない言葉は言わない。言ってはいけない言葉とは、不満、愚痴、恨み言、妬み、悪口、取り越し苦労、駄目だ、といったものだ。こういった否定的な言葉は発するだけで回りの人たちのモチベーションを低下させる。また、言った本人も気づいてないかもしれないが自己の心や細胞を破壊する波動を出す。言いたいことがあったら何でも言ってごらん、スッキリするから、という人がいるがそれは間違っている。心をあらうには、気持ちのいい言葉を話す。希望に満ちた言葉、勇気ある言葉、喜びに満ちた言葉、感謝する言葉だけを話すようにしよう。気持ちのいい言葉をいい続ける、それだけで心はあらわれてくる。そのとき、注意することは嘘でもいい、ということだ。たとえ可能性が低くても、可能性が有る限りやれる、やろう、大丈夫だと言う。心の中はビビっていても勇気ある言葉を話す。多少不満に思っていても、わざわざやってもらったら感謝の気持ちを表す。気持ちのいい言葉は回りの人を明るい気持ちにし、自分自身もまた希望や勇気といった前向きな気に包まれることができるからだ。

人は変われるんだ。

人は変われるんだな。変われば変わるんだな。誰だって苦しいときはある。苦しいときに苦しがったって、その苦しみが立ち去ってくれるなら、思う存分苦しんで、悲しめばいいのだけれど。苦しいときに苦しいよー。苦しいよー。って言ってると、実は、もっと苦しいことが次々とやってくるものなんです。それよりも、苦しいことがあったときに自分の今までを振り返るための、そして、新しい自分に生まれ変わるためのチャンスが来たんだな、と本気で思えるようにしていくと、人は苦しい時だって楽しく生きられるのです。どんな苦しみも、楽しみに代える。喜びに振り替えていくんです。考え方を変えるだけで、人は大きく変われるんです。

突破する。

苦しい状況を突破すると、頑張れる許容量が増える。しかも、一気に。だからといって、そんなにガツガツしなくてもよくなる。余裕が生まれるのだ。限界まで粘る。努力を続ける。必ず突破できる。焦る気持ちを突き抜けてやれることをやる。

最後の最後まで粘る

後2ヶ月と思えば諦めるほうにいく。しかし、適切な手を打っていれば一日一日を大切に充実して過ごすことができる。できるところと足りないところを見極めて、できるところを徹底して固める。足りないところを埋める。足りないところらが埋められると、ここからが本当のスパートなのだ。勢いがつく。勢いがつくことを信じて最後まで粘る。勢いがつくと生徒さんも保護者さんも、われわれも安心感が生まれ、大丈夫だな、というか充実感が出てくる。そうやって戦えるようになると、やってよかったな、と思えるようになる。

心のあらいかた2

人は体が汚れればシャワーを浴びたりお風呂に入る。心が汚れればどうだろうか。心が汚れたり、傷だらけになったり、垢がたまったら、やはり体と同様に心をあらわなくてはいけません。ですが、心は目に見えないから汚れてもそのままにしてしまうのです。また、心が汚れてしまった。あらいたい、と思ってもどうすれば心があらえるのか方法がわからないのです。また、誰も教えてくれない。誰もまた心をあらう方法を知らない。心をきれいにできる掃除機や雑巾、はたき、なんてものはないのです。では、一日疲れはてた心をきれいに整えて、あらうにはどうすればいいだろうか。それは、とても簡単です。もしかするとこんなことでいいのかな、と信じられないかもしれません。どうすればいいかというと、寝る前に何も考えないで寝る努力をするのです。一日生活すれば様々なことが起こります。心だって泥だらけになります。腹が立つことだってあります。それでも、寝る前は何も考えないできれいな、安らかな気持ちにして寝るのです。そうすると次の日、気持ちよく生活できます。腹が立ったり、些細なことで傷ついたり、消極的な心の反応が少なくなってきます。決して、寝る前に今日あった嫌なことを思い出してイライラしながら眠らない。それだけで心の垢が序序にとれてきます。

心のあらいかた

生きていれば毎日毎日いろいろなことがある。そのいろいろなことにどう感じるか、どう考えるかはだいたい二通りある。ひとつは肯定的に物事を捉えていく感じ方、もうひとつは否定的に捉えてしまう感じ方だ。否定的に捉えてしまう人は何があっても、でもこうなったらどうしよう、とか、ああいうこともありうる、とかなにかと悪い方へ悪い方へ物事を捉えてしまう。確かに、事を進めていく時に最悪の状況を考えて一歩一歩前に進めていく慎重さは必要だ。しかし、感情のレベルでいつもいつもビクビクしていたら行動に移していくことができなくなってしまう。また、ギリギリの線にいるときも、もうだめだと諦めやすくなる。本当はもうだめだ!というときこそ、まだ残された時間、存在する可能性があることを前向きに捉え、感謝の気持ちを持ち続けることが絶対に必要なのだ。では、どうすればもうだめだ!というときにどうどうと前に進めるようになれるのだろうか。それは心をきれいにあらう方法を学ぶとよい。たいていの人は家の掃除はする。寝る前にお風呂に入って身体はきれいにする。だが、心をきれいにあらったり、掃除をするということは全く頭にない人が多い。それは体が汚ければ目に見えるし、部屋が汚ければすぐにわかる、方法も掃除機をかけて雑巾をかける、風呂に入る、手を洗う、つまり簡単にできる。心は目に見えないからそもそも心をそうじするなんて意識は生まれにくいし、どう掃除すればよいか、見当もつかないだろう。実は、私もそのうちの一人だった。では、どうやって心をあらうのか、そうじするのか。

希望をもつ

どんなに状況が悪くても希望を持てるようになろう。絶望してはいけない。絶望は精神の死を意味する。精神が絶望すると神経が、神経に繋がっている細胞ひとつひとつまでがやる気をなくして本来の働きをやめてしまう。うまくいっている時は健康だが、失敗したりトラブルが起きると倒れたり、メニエールになったりするのはどんな状況になっても希望をもつ心の技術を知らないから起こるのだ。では、どうすればどんな状況でも希望が持てるようになるのだろうか。まず、悪い状況を見つめてはいけない。その状況を変えることはすぐにはできない。それよりもその状況に飲み込まれそうになっている自分の心を見つめるのだ。どんな状況でも自分が生きていること、その状況になるまではやってこれたことに感謝はできる。そして、その状況が私に何を教えてくれようとているのかを考えるのだ。まだ、自分が未熟なんだな、このままではいけないということを教えてくれているのだな、と。そうすると、自分にできることが見えてくるようになる。すると、状況そのものは変えることができなくても先に希望を持つことができるようになる。たとえ病気になっても、生きていることに感謝する、そして病気になったことそのものを自分の生活に問題があると教えてくれているのだな、と感謝の気持ちをもてるようになる。なれる。

何度でも言う、何度でも教える

人を育てるときは一度や二度教えただけではわかってもらえると思わない方がいい。わかってもらえるまで何度でも教えることだ。採用した時は誰でもが素人だ。国語が得意だから応募した人でも毎日毎日、一年一年積み上げてきたノウハウには絶対かなわない。だから、こちらの方は何も知らないと思って一から何度でも教える。何度でも教えるうちに表向きのやり方だけでなくなんでやるのか、どういう意図があってやるのかがわかってくる。すべての行動に理由があり根拠があるということもわかってくる。本当にわかってきたなというところまで育てると、その時点から安心して任せられるようになる。