人のせいにしない。

何があっても、どんなことが起ころうとも、自分の身に起きたことは自分の責任として受け入れていく。たとえ99%周りが悪かったとしても1%でも自分に非があれば自分のこととしてその非を改める。なんで自分がこんな目に遇うのか、とか、社会が悪いとか、上がなってないとか、人のせいにすると何も解決できない。自分に何かできることはないか事前に準備をしていれば防げることはするとか、自分でできることはやっていく。そうやって生きていくとうまくいくし、そもそも人のせいにしないとやりきれないようなことが起こらなくなります。

心をあらう

人間は大人になるまでに様々な環境の中で生活し成長する。その過程の中で受け入れる価値観の中には好ましいものもあれば、否定的でこのままでは好ましくない価値観も、両方共心のなかに入ってくる。そして、子供の時はよいものも悪いものもすぅっと無条件に受け入れてしまうものだ。だけれども世の中を斜めに見たり、人を憎んだり、お金に汚かったりといった否定的な価値観をそのまま持ち続けることはその人の人生を大きくマイナスにしてしまう。だから、物心ついたら自分が今まで無条件に受け入れてきた価値観をそのまま受け入れてよいものと、修正または、転換すべきものに分けて修正するものは修正し転換すべきものは転換することが必要だ。この否定的な価値観の転換を根気強くやっていくとだんだんと人生が生きやすくなり、楽しくなる。逆に価値観の修正、転換をしないときにはその人自身が生きずらいだけでなく、否定的な価値観を配偶者や子供、仕事場の人に押し付けてしまったりということになりやすい。そうなると再び否定的な価値観が次の世代にそのまま引き継がれてしまう。ただ、小さいころからのそういった否定的な考えを変えていくのはそんなに難しいことではない。時間をかけていけば実は簡単な努力でできるのだ。

芽が出てきた

ようやく3月に始めたことが今になって芽が出てきた。よかった。顔つきがもう、全然違う。こうやってひとりずつ、ひとりずつ、合格圏に入っていく。よかった。

ひたすらいいと思えるものを出し続ける

これなら大丈夫だなと思えるようになったら表に出す。これが先生についての方針であり、絶対に譲らないラインだ。ここに来ればいつでも良質な授業とアドバイスが受けられるということが信頼していただくためには必要だ。人を育てるのは本当に根気がいるし、手間がかかる。コストもかかる。だけれども、丁寧に教えて価値観を共有できるまで、かつこれなら大丈夫だなと思えるところまで成長してくれれば大切な人財になる。その人もプロになる喜びを感じてもらえる。

心を大切に丁寧に扱う

可能性が1%なら、99%のほうを見てはいけない。1%でも可能性があることをシッカリと認める。その上で1%を2%にするための努力をはじめる。そして、可能性が2%になったら、98%のほうを見てはいけない。2%可能性があることを喜べばいい。その上で2%を4%にするための努力をする。たしかに、数%の可能性はあきらめるには十分な低さだと思う人もいる。しかし、数%がじりじりと上昇していくと気持ちに火がつく時がくる。火がつくと後ははやいのだ。この時期に、あ、この子は火がついたな、可能性はまだ数%かもしれないが逆転するという強い意志がこの子の心に生まれたんだな、とわかることがよくある。子供の意志が生まれたことを、新たなスタートを気付かない母親はいない。そうなると苦しいのだけれど突っ走ることができる。

失敗の原因を考えて防止のためのシステムをつくる

失敗があったときは、失敗してしまった人は言い訳をしたがるし、仕事を頼んだ人はムカッとしやすくなる。そういうものだと思う。だから、失敗してしまった時は言い訳をしなくていいようにする。報告しやすいようにする。仕事を頼むほうが失敗を快く受け入れることができるようにすればいい。お互いが気持ちよく仕事をするためには、始めにきちんと教えることだ。その上でやってもらうと、そもそも失敗が起こりにくい。また、失敗が起きても謝りやすいし、責任の所在もわかりやすい。

失敗を責めない

人を採用したときは、始めにきちんと教える。教えたうえでやらせる。できたらほめる。ほめられた仕事は大抵一生懸命やってくれる。逆に失敗することもある。失敗したときにその人を責めたりしないほうがよい。失敗したときに、ほとんどの人は自己を防衛するために言い訳を言ったり責任を回避するようなことを言う。そのときに相手が非難する言動をするとお互いに責任のなすりつけあいになってしまう。さらには、こんなにいやな気持ちになるなら隠したほうがよい、と隠蔽するようになる。だから、失敗をしたら責めないこと。どうすればよいのか、どうすればよかったのかをたんたんと教えてあげる。その上ですぐにやり直す。それだけでよいのだ。

心のもちかたを教える

人を採用する。研修する。だんだんその人のことがわかってくる。前の仕事場でどんな風に働いていたか、どんなところがその人にあっていなかったのか、わかってくる。大抵は本人が山や谷が来たときにどういうふうに考えればよいのかを知らない人が多い。仕事をしていれば日日様々な事が起こる。その時いちいち傷付き、傷付きながら我慢に我慢を重ねて働くのだろう。もちろん会社の人がめんどくさい事を真面目な人に押し付けるとか会社に問題があることもある。しかし、それをまともに受けて傷付いてしまう選択をしたのはその人本人なのだ。トラブルは心でまともに受け止めたら駄目なのだ。トラブルは腹で受けるのだ。腹で受けると心が傷つかない。心が傷付いた状態でどうしたらよいかを考えても本の心が落ち着いてないのだからまともな選択ができなくなってしまう。まずはトラブルを腹で受ける。そうするとどんなトラブルにも誠実で、相手方にも自分にも最良だといえる手が見えてくる。そうするとトラブルはもはやトラブルではなくなる。顧客には上質なサービスになり、その人にはキャリアとなり、智恵になる。

一定のレベルに来るまで出さない

先生は一定のレベルに来るまで出さない。きちんと教えて育てている以上、これなら顧客をつけても何とかなるというレベルまで、頑張ってもらう。駄目なら出さない。顧客から受講料をいただくだけの価値を提供できなくてはならない。それがわからないのならばこの仕事はむいてないということだ。ここを乗り越えたものだけが教壇にたてるのだ。プロなのだから当たり前のことじゃないか。