やれることをやったら、後はじっと待つしかない。昔はそれがわからなくていじくり回してしまったりした。もちろん、待っている間も何もしないわけではない。時期時期でやるべきことはたんたんとやる。しかし、本人自身がやる以外ないことは本人がやるのを待つしかない。準備をっかりとしておけば後は本人が走りきるのがいちばん効率がよい。端が焦れば本人の本気モードにはいるのが遅れるだけなのだ。やれることをやったら、後はじっと待とう。
無心
堕ちるところまで落ちたときのことを思い出せば、謙虚な心持ちで無心になれるはずた。カッコ悪くていい。頑張れ。
何が起きても道は二つある
何かつらいこと、悲しいこと、腹がたつことがあっても、あなたには二つの道を選ぶ権利がある。落ち込んで不平不満愚直泣き言を言う権利と、つらいこと悲しいこと腹が立つことから自分が得られるものを学び生きる糧にしていく権利。この二つだ。私も昔は不平不満愚直泣き言を言う権利を行使していた。しかし、それらからは何も生まれない。正確に言うと憎しみや諦め、怒りといった自分自身を傷つける結果しか産み出さない。どんなにつらいことでもが悲しいことでも腹が立つことでも自分に降りかかってきたことは、何らかの責任が自分にあるのだ。だから、自分に非がないか冷静に心を見つめ、非を認めて改める。次に備える。学ぶ。どんなつらいことも悲しいことも自分が撒いた種に花が咲き、実がなったのだ。自分が撒いた種は自分で刈り取る。それが正しいのだ。
引っ張れ
可能性がほんのわずかでもあるのなら、上に上に引っ張りあげ続けろ。決して駄目な理由を挙げるな。失敗したときの言い訳を考えるな。どこまでも、どこまでも上を目指せ。あとで何を言われたっていい。俺があなたを守る。
心のもちかた
これからだんだんと精神的に苦しくなってくる。あと一歩足りない人は諦めず、一日一日を過ごすこと。ある程度目処がついた人はいかなる場合でも対応できるように気になった不安要素を潰していく。今やれることをやっていけばいいのだ。やがて、できることは大体やったな、ここまでやればいいかな、という気持ちになれれば大丈夫なのだ。
落ち着いた平安な心
ようやくいつもの生活に戻ることができた。長い夏だった。少なくとも昼間は神経をゆったりと休ませることができる。落ち着いた平安な心。とても気持ちがいい。夏の間気が張り積めていた。神経を張り巡らせて一人一人、ヒトコマヒトコマ、一瞬一瞬に何かを打ち込んでいく。ひたすら打ち込み続けていく。そうしたらお盆明けに、この子は大丈夫だな、強くなったな、という生徒さんが何人か出てくる。そして、後半にその心をより強くして夏が終わる。やっと少しだけゆったりとした落ち着いた、平安な心になることができる。
いつもの生活に戻ることができた。
長い夏だった。あまり暑いとは感じなかった。気が張りつめていたからだろうか。暑いですね、と尋ねられると一応は、暑いですね。と答えるのだか本当はそんなに暑いわけではなかったのだ。夏の間は力をつけるだけでは足りない。心の強さが出てこなくてはいけない。心の強さを引き出せることができれば9月以降、安心感が生徒さんにも保護者の方にも生まれる。落ち着いてひとつひとつの階段を上っていけばいい。そのためには生徒さんの心を一歩一歩強くしていかなければならないのだ。どうすれば強くできるのかというと、それは、それは、それは私にもうまく言葉にできないのです。
必ずや道はある
どんなに不利な状況でも、必ずや道はあると信念していると道が見えてくる。絶対に何か突破口があるはずだ、と強く念じながら、考えて考えて考え抜く。そうすると思いもよらないところから答えが出る。スッとからだから力が抜けてこのやり方があったかと。これでいけると。そんなことの連続なんだ。俺の仕事は。
プロは言い訳しない。
プロは言い訳しない。説明なくてはいけない。でも、言い訳はしない。ただの責任から逃げることだからだ。誰でもそうだが、顧客は逃げることを嫌う。それは見捨てられたんだな、自分は大切にされてないんだな、と思うからだ。どんなにすばらしいシステムだって、カリキュラムだって、教材だって、そこにいる人間が顧客を大切に思う気持ちがなければ失望を生むだけだ。どんなに技術と経験を駆使しても結果がなかなか出ないときだってある。時期が来れば伸びるのだ。それまではやれることをちゃんとやりながら状況の説明だけは過不足なくやる。言い訳はすればするほど顧客の気持ちを失望させるだけなのだ。
プロはたったひとりでもやる。
プロはたった一人でもやる。やると言ったことはやる。回りが乗りが悪くてもやる。みんなが笑っていてもやる。駄目だろうと思っていてもやる。やると言ったことは一人でたんたんとやっていると、加速がつくときがある。そうなると一気にことが進む。そうやって無理かなということも実現してしまうんだ。