今までもよくやってきた。それは充分わかっている。しかし、さらにまた、耐えに耐えるんだ。人生は修行なんだ。精一杯やっても、やっても次、次と神様から課題があたえられる。それでも、嫌な顔一つせず課題をぱくぱく、さくさくかたずけていくことが神からの真の課題なのだ。これ以上俺にどうしろと言うのかという場合でも、それが課題ならばやる。できる。
何も持たないで生きる
長いこと生きていると守るものができる。守るものができると、その守るものを手放すのが怖くなってしまう。しかし、もともとは何もないところから出発したのだ。臆病になっちゃだめだ。何も持つな。自分の力だけで生きるんだ。今までのことは忘れるんだ。これから人の役に立つことだけで生きていくんだ。それが一番潔く、身軽で、きれいな生き方なんだ。
どう生き抜いていけばいいか
成熟した資本主義社会で生き抜いていくにはどうしたらいいか。それは実は簡単だ。一つは誠実を貫くこと。周りがどうであれ、惑わされず、誠実であり続けること。二つめは逃げないこと。逃げると事態を悪化させてしまう。逃げずに立ち向かうことで成長するし、顧客に勇気を与えることができる。三つめは耐えに耐えることだ。可能性がほんの少しでもある限り諦めず、最善のことをやる。忍耐強く手を打ち続けると、必ず形勢が変わるときがくる。それまで努力を継続する。これだけだ。あとは時代の流れに逆らわなければよい。
気持ちを強くもつ。
生きていれば絶えずいやなことが起こる。苦しいこともおこるし、悲しいこともおこる。不幸なことだってくる。しかし、苦しいことがおきたからって苦しみのたうちまわっちゃいけない。悲しいことが起こったって悲しみにうちひしがれちゃいけない。何か教えてくれているんだな、自分の行いに何か至らない、不注意があるんだなと解釈する。悲しいことに感謝して、直すところを直す。正すところを正す。すると苦しいことが起きても、悲しみがふってきても怖くなくなる。大丈夫。大丈夫。
あとひとつ
君はこの夏によくやった。確実に力がついてきている。足りない穴もほぼ埋まった。知識的には大丈夫なのだ。あとは気持ち。精神的なもの。夏になると今まで地道に努力してきた人は精神的な強さが出てくる。自分で考え、力強い学習態度が出てくる。そうなると、回りも安心して見ていることができて、うまく動いていくようになる。君もしばらくすると精神的な強さ、タフさ、真剣さが出てくる。ただいつ出てくるかはわからない。しばらく会わない間に出てくるときもあるし、勝負どころが来たなと思ってしっかり話したときにでてくるときもある。ただ、最後は精神的なものが出てくるかどうかで決まる。それは間違いない。
なにもしない
やすみになった。なにもしない。なにもかんがえない。ただ、ただ、からだをやすめる。こころをやすませる。なにもしない。たいくつなじかんをもつ。せんとうもーどから、さいぼうがくたっとしてくる。のうのさいぼうもなにかぬけていく。はりつめていたからこそ、やすみもとおといものになる。とてもきもちのいいおぼんだ。ごせんぞさま、ありがとうございます。もうしばらくやすませてください。
仕事には命を賭す
ずっと前に先生と話していて、俺はこの仕事に命を賭けているから、と言ったことがあった。私にとっては本当にこの仕事に命を賭けているから言ったまでのことだった。当たり前のことなのだ。だが、先生の反応はびっくりしていたというか、なんと言うか、どちらかと言うと感動していたという感じだった。この人は仕事なんぞに命を賭けて魂を入れることは今まで無かったのかなと思った。せっかく技術を持っていて顧客の希望を叶える仕事をしているのだから精一杯やった方が仕事をする人の方が得られるものがたくさんあるのですよ。
自信を失いかけたら、当然励ます
目的を持って努力を続けていると、うまくいかないときや、行き詰まってしまうときもある。そして、
自信を失いかけたら、当然励ますこと。励ます以外しないことなのだ。愚痴を言いあったり、不満を煽ったりして同情してはいけない。それはその人の足を引っ張っていることに等しい行為なのだ。自信を失いかけたら、当然励ますこと。同情しないこと。
今どの辺にいるかを見せる
客観的に見て、この人は大丈夫だ、と思える人でも不安でたまらないことがある。そんなときは今その人がどの辺にいるかを見せるとよい。あなたは今までどういう努力をして、どこまで到達しているかを見せる。そして、その到達している場所が目標にたどりつくまでの道のりのどの辺になるのかを教える。次にどうなるか、次のやるべきことを明確に、繰り返し言う。そして、最後に、だから大丈夫ですよと言い続ける。すると、だんだん不安は消えていく。
一度にひとつだけ
人にものを教えるときはあれもこれもと詰め込んで教えないほうがよい。ひとつだけを押して教えるといい。あれもこれもと教えると、まず、ほとんど理解できない。教える方は当たり前のことでも教えられる方は何も知らないのだ。一度にたくさんのことを言われてもできるようにならない。今日はこれだ、ということをたった1つに絞って集中して言う。そうすると、教えてもらう方はポイントがわかるから、素直にそのひとつを吸収していくことができる。教える方はひとつにしぼると、ただ教えるのではなくて、その人ができるところまで教えることができる。集中できるのだ。人間は一度に一つのことしか実はできない。だから、他に教えたいことが出てきても、今日はこれだ、ということ一つにしぼることだ。すると、次は以前に教えたことはできるから、今日はこれだということに集中して教えていくことができる。